03/23/06
行政訴訟の重要性3(原発設置問題2)
例えば、原子力発電を推進するかどうかは政治で決めることでしょうし、その立地条件などの基本政策は法律で、決めるべきでしょうから、ここまでは政治の世界・・議会の分野でしょう。
しかし、細かい技術基準や、これに適合しているかどうかについては、客観的専門的検査によるべきでしょうから、その適否は司法審査に服すべきで、政治家が政治的都合で、闇・・・料亭などで腹の探り合いで決める必要が有りません。
昔医師の医療行為は、「医師の裁量による」と言う判例が普通でしたが、今では、治療の過失が厳しく裁判で問われるのを誰も不思議の思わなくなっているのと同じです。
これまで、こうした分野・・原子力発電の設置基準に適合するかどうかまで何事も政治家が、決めて来た・・(そんな能力がないはずですから、結局官僚の言うままに決めて来た)のです。
こう言う微細なことは知事が、パフォーマンスで文句を言ったり、受け入れたりするべきものではなく、客観的規準に適合するかどうかの適性検査で足り、その当否は密室で決めるのではなく、公開の裁判で決着つけるべきでしょう。
個人情報保護法関係では、自己に関する誤った情報が役所に記録されているときには、その是正請求権が認められましたが、これも、事実の確認ですから(生年月日の記載間違いなど)政治家が介入する必要がないと言う流れで、位置付けられるでしょう。
このように、民主政治の基本である国民の参加の重要性を考えて行きますと、これまで門戸の狭かった行政事件訴訟法分野の原告適格の拡大、あるいは行政訴訟できる対象を緩やかにしていくのが、これから進むべき道ではないでしょうか。
何でもかでも反射的利益と言う説明で、国民には何の権利もないのだという考えで片付けていると、国民は「知らしむべからず依らしむべし」の雰囲気に染まってしまいます。
行政訴訟の門戸を広げて行けば、お上任せから、国民が積極的に行政参加していく契機・・・関心・・教育になっていくのですから、行政訴訟法の改革が行政府の民主的運営を担保するのに重要な事だと分かるでしょう。
行政訴訟と言うのは、何か行政に文句をつける人がやってるだけで、自分達に関係ないと言う風潮があるようですが、そう言う風潮があること自体、非民主的社会の象徴です。
自分の住んでいる町や国を良くしょうと思う人、誰もが積極的に行動し易くするには、こうした風潮をなくし、誰もが行政の決定がおかしいと思えば簡単に異議申し立てしたり、積極的に行政行為を求める事が出来るように制度改正をして行くべきでしょう。
選挙だけ民主的にやれば、あとは100%お任せで良いと言うのは、民主国家の最低の要件であって、いろいろの具体的な場で、国民が自分の意見を主張できなければ、本物とはいえません。
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