03/22/06
権利と反射的利益2(公道の通行)
前回までのコラムで見たように、綱吉や現憲法を例外として、支配者は権力維持のために禁令その他の施策をし、その反射的効果として、被支配者の権利保護・・利便性を高める(公道を安全に通行できるなど)ようになっているだけのことが多いのです。
法的には、個人の権利ではなく、政権がある条件を設定したことにより、その反射的利益があるに過ぎないといわれる類型は、今でも無数にあると言っても良いほどに健在ですが、殆どの人は、あまり気がつかないだけです。
証券取引法違反は、証券取引秩序破りに対する制裁ですが、その反射的効果として投資家保護があるだけなのです。
小泉総理は数日前の国会で、ライブドア事件の被害者救済をするのかと聞かれて彼は憤然として
「しません。株式投資は自己責任ですから」
と言い放っているのが報道されていましたが、(言いまわしは正確に覚えていませんのでそのつもりで御読みください)自己責任かどうかは別として政府は保障する責任はないのです。
例えば、皆さんは公道を歩く権利があると思っているでしょうが、これは公共団体等が道路を整備している結果、自由に通行できるだけであって、通行権がある訳ではないと言うのが現在の法理です。
普段から聞き慣れていて、「権利」と言う言葉をご存知の方が多いと思いますが、「権利とは何か?」と聞かれると説明出来る人の方が少ないでしょう。
ましてや、権利の外側にある反射的利益と言う言葉になると、聞いた方が少ないと思いますので、この機会に少し説明しておきましょう。
こういういろんな言葉の説明をしているうちに、「権利」概念・・キーワードも少しずつ分かってくるかも知れません。
例えば、自分に家の前の公道に誰かが車を止めていて通行の妨害になるからと言って、その車の所有者等に撤去を求める権利はないのです。
せいぜい、警察に通報して、駐車違反の取締りを「お願い」するしかないのです。
警察がレッカー車で撤去するかどうかは、警察の判断であって、通報者に命令権ないし要求権までは有りません。
自宅前の道路に犬猫が死んでいるからと保健所に通報するのは構いませんが、自分が権利として保健所に対して、犬猫の死骸撤去を要求する権利までは有りません。
これらは政府や公共団体が、施策として住民に提供しているサービスに過ぎず、住民が直接要求できる権利ではないのです。
こういう状態の住民の権利状態が、法律学上では、「権利ではなく反射的利益を享受しているに過ぎない」といわれている分野です。
もちろん、公共団体がサービスを提供した以上は、そのサービスに不備があって、(道路陥没など)住人が受傷したときは、管理者等としての賠償責任が発生しますが、これは別問題です。
住民は、政治問題として「道路整備や新設要求或いは駐車違反の取り締まり強化をせよ」などの要求は出来ますが、直接の法的権利まではないのです。
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