03/17/06
地方の独自性とは?10(関所・・通行税から関税法へ 1)
西洋の商業の発達・・・近代化は絶対王制を経由しているのに、わが国でも江戸時代には、かなりの商業の発達があったのに、日本は、封建制打破の要求にまで行かなかった原因を書いているうちに、地方自治に深入りしてしました。
徳川体制で、商人はそれ程不便に感じていなかった原因は、江戸時代中期以降は、各大名家の領国支配と言っても、今の地方自治体程度の個性しかなく、法的一体性から見れば事実上の統一国家だったから、国内流通に支障がなかったのです。
03/11/06・・2「条例の個性?2(個人情報保護法1)」のコラムで、各自治体での条例制定の実際を紹介しました。
その上に、足利時代に流行った領主ごとに設定していた関税が、信長時代に完全になくなっていたことも、大きな原因だったでしょう。
今で言えば、関税とは、外国との輸出入税のことでしょうが、足利時代に各大名、小名が自分の領地の出入りに関所を設け、出入税・・通行税を取っていたことがあるのです。
ホンのわずかな間にいくつも関所があって、通行に不便を来たしていたことは、ものの本に書いているのでご存知のとおりでしょう。
これを信長が撤廃してしまったのは、楽市楽座よりも、実際的に大きな影響があったでしょう。
明治の翻訳と言うか造語の妙は、明治人の語彙能力が高かっただけでなく、同じ制度の歴史がわが国にあったことが大きいのです。
明治維新で、近代国家になって、外国貿易に税金を課する際に、この歴史を思い出して「関所の税」ということで、関税と言う熟語を復活させたものでしょう。
為替については、これまでかなり書いて来ましたが、既に江戸時代に発達していましたし、株式などの用語も江戸時代に既に株仲間などの制度があったからです。
このように明治に出来たいろんな言葉は、過去にあったものや制度を応用したものが多いのですが、今のパソコンなどは、同じようなものがわが国に存在していないために、そのままの単語導入になるのでしょう。
ただし、「税」と言う漢字の意味を、02/13/06「利息3(出挙2)高利金貸しと税金の起源2」前後のコラムで説明してきましたが、関税になると少し意味がずれるのです。
禾ヘンの税は本来イネ科植物・穀物の収穫にかける税・・・所得税のことですが、関税になると、以下に説明するように、本来の所得に課税するものではなく、輸出入すること自体にかける課税です。
足利時代で言えば、1種の通行料でしょうし、近代国家の自国産業保護のための税となれば、そもそも税といえるのかと言う疑問があります。
その結果同じく国庫に帰属し、国費に使用されるところは国税同様ですが、国庫に入りさえすれば、税と言う訳では有りません。
罰金なども強制的に国庫に入りますが、税とは言わないのです。
こうしてみると、近代の関税は、収入に対して課税すると言うよりも、輸入妨害・・障壁システムとして発達してきたことが分かります。
川からと取り入れる水の流量を、調整する水門のような役割です。
この水門の上げ上げ(関税率)をどうするかが、経済政策として重要なのです。
元々関所というものは、出入を便利にするためのものではなく、出入監視システムであって、どちらかと言えば障壁システムとして発達したものですから、仕方がないと言うべきでしょうか?
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