03/15/06

ロシア革命と中華人民共和国の成立2

それでは、毛沢東が、どうして中国の共産主義化に成功したのでしょうか?
共産主義化に成功したかどうかはともかく、国民党政府を追い出して共産主義政党の方が政権を握ったのは事実でしょう。
中国で人民解放軍が支配力を広げていったころには、(戦前から戦中戦後の期間です)ご存知のように、まだ近代工場労働者が殆ど発達していませんでした。
このような後進国で、或いは北ベトナムで共産主義政権が誕生したのは、まさに後進性の故以外に説明がつかないでしょう。
中国の農業については、03/04/06「商から農への転換9・・・中国の場合1」のコラムで、書きましたが、小作人の性質が西洋の農奴的形態であった点が、共産党の主張する共同所有概念にフィットしたからでしょう。
それに加え、日中戦争で国内権威がガタガタになっていたことから、普通の国で存在する統治権力・・弾圧勢力が殆ど存在していなかったことが、利したのです。
中国では過去の政権転覆時の混乱状態では、いつも農民軍の存在感が増すのです。(黄巾の乱、紅巾族などいつもそうです)
中国歴代王朝政権末期の混乱状態同様に、農民軍領袖またはその支持を受けた方がいつも次の王朝を創始して来たのですから、辛亥革命以後、国民党軍と人民解放軍の内戦の過程で最後に農民の支持を取り付けた人民解放軍が勝ったとみれば、分かり良いかも知れません。
日本の農民は、自営農民として、何世代にも亘って、農地を深耕し、堆肥などを鋤きこんで肥沃にしてきたので、自分の農地にとても愛着があるのです。
小作の発達は、明治の租税の金納化以来の現象に過ぎないことは、既に何回も書きました。
中国の農民は、・・黄河流域では元々焼き畑農業ですから土地を肥やしていく努力をした経験があまり有りません。
こう言う農業であるからこそ、国家が分配する公地公民制が定着できた訳ですし、黄河流域の森林を根絶やしにして、土地を丸裸にし、澄み切った水をにごった黄河に変えてきたのです。
彼らは、自分の固有の農地を持ったこともなく、他人の土地の小作しか経験がないのです。
農民にとっては、地主階級を基礎とする国民党軍よりも、地主から土地を取り上げて共同所有にしてくれる共産主義者の提案の方が、理想的に見えたでしょう。



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