03/15/06

ロシア革命と中華人民共和国の成立1(前衛とは?)

ロシア革命は労働者が中心になって起こした革命と言われていますが、それだけではなく、農民社会の後進性のゆえに・・この農奴的社会を下地として成立したと言うべきでしょう。
ロシアでは、ドイツよりもさらに後進工業国として,帝政のまま工場労働者が増大しており、ドイツよりも、社会意識が遅れていた分左翼的過激思想が広がっていたのです。
ブ・ナロードニキのスローガンが有名ですが、先ずは虐げられた最後進の農奴の開放に向けて、知識人の運動が始まります。
遅れすぎていたせいかどうか知りませんが、これに肝腎の農奴の方が反応しないのですが、帝政の方でも時代にあわせて農奴開放をしたり努力するのです。
これが却って、自営農民になれた階層となれなかった農民の階層分化が起こり、いよいよ社会矛盾が激化していったのです。
こうして、社会主義運動は挫折をしたり、戦艦ポチョムキンの反乱などを経て、第1次世界大戦でのドイツ軍に対する敗戦続きの体たらくから、10月革命が成功するのです。
こうして,臨時政府、メンシェビイキなどとの闘争を経てボルシェビイキが政権を握ったものの、第1回選挙をやってみると10月革命で倒したはずの臨時政府派が多数を占めたのです。
こうして、ボルシェビイキによる武力による議会閉鎖となり、2度と西洋型議会が開かれないことになったのです。
彼らは、労農評議会=ソビエトと称し、農奴解放こそが錦の御旗(思い込み)だったのですが、上記のように折角自営農民になったばかりの農民から土地を取り上げて集団農場にしようとするのですから、彼らから激しい抵抗にあいます。
(議会で農民票の多数が、臨時政府派やメンシェビイキ等を支持した所以です)
むしろ農民が反革命軍の支持母体になる始末でしたから、その後、労働者が農民の大弾圧をするのです。
ショーロホフの作品「静かなるドン」で描かれているように、コサック騎兵の流れを組むこの地方では、農民も日本の武士のように半農半兵で勇敢なのです。
ロシア革命の主役は、本当に労働者なのでしょうか?
農民は半農半兵で強漢ですが、都市労働者は、自ら軍と戦う能力など持ち合わせていません。
私の想像ですが、ボルシェビイキが軍の中に頭でっかちな支持者を広げ、武力で政権を握っただけなのではないでしょうか?
(日本でも青年将校が、地方出身の兵に檄を飛ばして2・2・6事件など起こしたのと同じです。)
ボルシェビイ来は革命後の選挙でも、多数派を形成できなかったのに、武力で議会を制圧しただけですから、本来の革命政権といえないのではないでしょうか?
このように、政権の正統性に疑問があったことから、その後も内戦が続き、日本も連合国とともにシベリア出兵となったのです。
こうした経過から、共産党は、意識の遅れた民衆を指導すると言う前衛思想が生まれ、指導者と言う呼称が定着していったのでしょう。
前衛とか指導者概念は、元々、広範な国民の支持を受けていなかったことに対する言い訳思想と言うべきです。



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