03/11/06

商人規制親和性3 (絶対王制誕生・・・わが国西洋の違い1)

隔地者間の商取り引きにとって、必須の取り引き手段であった手形取り引きが、先ず最初に国際条約に基づいて画一的な法律が出来ていることを紹介してきました。
(留保による少しの例外があります。)これは同じ紙に書いた効力が、(例えば支払日一つ取っても、どこの国の時間を採用するかで違ってきます)国によって違いますし、能力も(20歳で成人する国もあれば、当時は、男女差の能力の区別のある国が殆どでしたし、いろいろです)国によって違います。
こうした不都合を解決するために、いち早く国際統一条約が出来たのです。
ただし、電話やメールの発達した現在では、隔地者間の取引と言っても、手形用紙の必要性がありませんので、今では平面的距離差ではなく時間差を利用するための約束手形ばかりになって来ています。
こうして、現在では、本来の為替手形の需要が激減してしまっているのです。
こうした現状については、05/11/03「銀行とは ?(約束手形の発達1)8」前後の為替手形のコラムで説明しました。
今では、手形法の意義はかなり減少しましたので、手形華やかなりしころの、歴史的経過を書いているだけです。
国内取り引きが増えてきて、大名の領地をはみ出す取り引きが増えてきますと、(紀伊国屋文左衛門は紀州から江戸へみかんを運んだことで有名ですが、こうした領地外取り引きは普通だったのです。)国内統一法の要望が増えて来るのは必然です。
こうして、西洋では封建制度が終わりを告げ、絶対王制が成立したのはご存知のとおりですが、わが国では封建制度といっても、右に倣えの習性の国民性ですから、他所のまねをしていくので、各藩ごとに独自の法を作れたと言っても、国内法は殆ど同じだったうえに、各藩や天領にまたがる事件は幕府が裁判権を持っていたので、絶対君主の需要が育たなかったのでしょう。
ところで、各地の領地は入り組んでいたので、直ぐ隣の人の争い事でも江戸に出て訴訟しなければならなかったので、公事宿が発達したことも、12/20/05「弁護士の先祖?((公事宿の亭主)1」で紹介しました。
江戸時代の刑法の歴史のコラムでも、後に書きますが、そのころから日本中で情報交換が盛んで、ある藩で研究発表すれば、よその藩が、その研究を利用して刑法を作るなど、結構今と同じことをしているのです。
正確には当時藩と言う名称がなかったことについては、07/19/05「藩の消滅(廃藩置県2)前後のコラムで書きましたが、明治の初めの3年間ほど藩と言う名称が使われたただけなのです。
このホームページで「・・・藩」と言う名称をあちこちで使っているのは、皆さんが慣れているので、分かりやすいように便宜上利用しているだけです。
また幕府と言う表現についても、03/15/04「幕府概念の破綻6」前後のコラムで、疑義を述べていますが、便宜使用することがある(「幕末」などは便利な概念です)のと同様ですので、この旨ご了承ください。



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