03/08/06
人権思想の発達が、啓蒙的専制君主制にさせたのではなく、国際競争力維持のために、商業だけでなく国策での生産力増強に努めざるを得なかったからでした。
それまでは、物造りと言っても家内工業的な生産力でしたが、それでは間に合わない時代がきていることが分かったのです。
そこで、先立つものは資金ですが、日本には資本の蓄積がなかったのです。
これまで02/24/06「金貸しと銀行の区別2(間接金融・・政府主導経済の先兵)」以下「投資」融資をテーマにするコラムで書いて来たように、先ずは、国営工場の建設から始めますが、民間企業育成のためには、国が主導して資金を集める必要性があったのです。
これら経済システムの後進性を総合して、西洋の政体を研究して来た結果、重商主義に対応する単純な絶対王制ではなく、ドイツなどと同じ啓蒙的専制君主という半端な性格の政権が模範とされたのです。
啓蒙的専制君主制とは、絶対王制の君主制を基本としながらも、先進資本主義国に発達した自由平等思想のうち、産業発展に必要な限度で利用しましょうと言う都合のい制度です。
現在の中国が、共産主義のままで、産業発展に必要な限度で、資本の自由化をしようと言うのと同じで、考え自体矛盾しているのです。
絶対王制は、フランス革命で否定されてしまいましたが、08/23/05「王と軍の存在意義4(フランス革命1)」のコラムで書いて来たように、革命は自由・人権思想の結果起きたのではなく、重商主義の足腰である生産力でイギリスに負けっぱなしになっていたことに対応出来ない政権だったから、そのストレスで革命が起きたのです。
革命があったからと言って、いきなり生産力が向上する訳がないのですから、ナポレオンは、その緊急避難・・・解決策として大陸封鎖令(今で言えば輸入制限措置)で対抗するしかなかったのです。
ナポレオンは自由経済競争の制限政策で応じたのですから、一種の反動政権だったことも、その連載で説明しました。
ただし、後に書きますが、生産力の増強には、自由な工夫・議論・思想の発達が必須ですから、結果としての人権思想は、否定できなかったのです。
その意味では、ナポレオン帝政は経済的には、反動政権でしたが、人権思想を世界に広めた功績を否定できないでしょう。
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