03/08/06
話しが専門家のあるべき姿に飛んでしまいましたが、国際競争の原点である「もの造りと商」の分業と兼業の話に戻しましょう。
我が国では昨日まで書いて来たように、「よろずや」(神様からしてそうです)「物つくりに励みながら商に精出す」のが、正しいと伝統的に思われていた社会だったのです。
この伝統的考えが、江戸時代に商が発達しながらも物作りが衰退せず、逆に商の発達に比例して物作りが盛んになり、各地の特産品の生産が増え、道具類も精巧になっていった原因でしょう。
日本では、商の発達した地域の方が、物作りも盛んになっていたのです。
商の発達しなかった東北地方の方が近代以降のもの作りも低調です。
このようにして、江戸時代における商取引の発達につれて、いろんな商品生産(技術)が進んでいた結果、開国後近代産業が導入されると既存の技術経験にちょっと工夫すれば、同じ物が直ぐに作り上げられる下地となったのです。
この一例として、05/22/05「いわしと産業革命5(明治維新成功の秘訣4)」前後で、木綿産業の成功例を連載しています。
商と物作りが兼業で発達していた社会構造が、明治維新後直ぐに西洋の産業革命の成果を吸収できる下地となり、現在のもの造り大国への発展の基礎にもなっているのです。
日本では、専門店と言うと洋服だけかと言うとそうではなく、洋服屋が、その洋服にコーデイネートするように靴もネクタイも、あるいはバッグやアクセサリーもそろえなければ客が納得しません。
もののついでに書きますと、明治政権は、下級武士によって担われたと言われますが、その後ろ盾になったのは豪商白石家などですし、維新の立役者として今も人気のある坂本竜馬は、海援隊を組織するなど本質的に貿易商の精神の持ち主です。
明治維新政権は、経済的側面から見ますと、天智天皇時代から始って鎌倉から徳川期に至って完成した農本主義から訣別して、基本的に重商主義政権に変更するものだったと言えるでしょう。
その意味では、商業と対になっている王政復古を掲げるのも一応理屈にはあっていたのです。
他方で国際情勢は、08/23/05「王と軍の存在意義4(フランス革命1)」以降のコラムで連載したように
、商業と言っても結局は、生産力で競争する時代がきていたので、単純な重商主義国家=絶対君主制を採用するわけにも行きません。
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