03/07/06
この点アメリカ流或いは、西洋では、病院の経営は医師でなくプロに任せるべきだという考えで、このころ日本でも浸透しつつある考えです。
西洋的思考では、研究者は研究者、経営者は経営者、小作人は小作人、労働者は労働者、王様は王様とそれぞれ分野が決まっていて、自分の立場を主張していけばいいのだという世界です。
何故、諸外国では、このように人間をロボットみたいに考える習性がついたのか不思議ですが、これはまた別の機会に堀下げて考えましょう。
この結果、階級意識や人種差別が強固になるのですが、日本人にはなかなか理解できない精神・社会構造です。
ただ、市場経済の浸透で、或いは専門分野の高度化が進んできましたので、総合的人格にこだわってると、我々弁護士も市場闘争に負けてしまいそうです。
証券取引やデリバテイブ取り引きについて、03/01/06「キリストと農業社会の歩み寄り5(金利と農業社会2)」前後のコラムで少し書きましたが、専門化、詳細化が著しいのです。
技術的な理論の精緻化はとどまる所を知らず、そのための研鑚に励まねば闘争に負けるし、そこにのめりこんで寝ないで頑張っていると専門馬鹿に陥ると言う次第で、悩ましい時代がきつつあります。
親戚に心臓外科の専門医がいても、腎臓その他の専門外の病気については、相談しようがないのと似ています。
弁護士になるための司法試験が難しくなりすぎると、ファジーな能力を持った人材が弾き飛ばされて、試験秀才ばかりになって、実際の世の中に役立たなくなる心配がされます。
医学部入学試験が難しくなりすぎた弊害は、07/06/04 「学業と実力2(司法修習生の場合)」などのコラムで紹介しました。
これから期待される弁護士は、町医者的なものではなく、企業内弁護士や大手ローファーム内で、専門的に分析する専門家であるとすれば、(レントゲン技師のように部分的映像を見ればよい?)それでよいと言うのが時代の流れでしょうか?
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