03/07/06
ここで「商と物つくり」の関係に戻るのですが、江戸時代の商業流通の発達が、各大名家での特産品生産奨励に向かったので、平行して物つくり技術が発達したのです。
ここが、諸外国との違いでしょう。
世界中で、商人が自分でもの作りに精出すことは、個人でも民族でも滅多に見かけません。
商人は商取引に専念するのが、普通です。
鎖国していたので、限られた範囲で工夫して競争するしかなかったのと、これまで何回も書いていますが、意外と日本列島は資源大国で、やる気になれば、大抵のものが国産できる豊かな資源国だったのが幸いしたのです。
日本では、調理師その他職人が商に口を出さないのではなく、自分で売り歩いたり、板前自身が店で客の前で料理するのです。
物つくりと商とは混然一体となっているのが、現在の日本の産業でもあるでしょう。
日本の兵は、兵農分離せず、半農半武で、(半農半士と言いますが、士ではなく兵でしょう)専門職でなかった点が、強さの源泉であったと書きましたが、日本では、経営者と職人は別ではなく同じ人間なのです。
我々弁護士も裁判だけしていれば、収入の方は誰か経営者が考えてくれると言うのではなく、自分が経営者でもあるのです。
この経営者でもある点(子供の親でもあるし・・などいろんな立場がある)が、狭い専門的偏見に陥らず、幅広く考えることのできる強みにもなっていると思います。
医師も仁術だけでなく、算術かと非難されますが、総合的な人格形成には経営者としての経験も必要でしょう。
学者も同じですし、農家も経営者の視点で頑張らねばやっていけません。
戦後、経営は農協任せで、「農家は、何も考えず米作り等農協の指導で作るだけでよい」と言う西洋的分業思想で来たのが、農業衰退の原因でしょう。
セクショナリズムで、目の前のゴミ一つ拾わないような専門家ばかりでは、国が持ちません。
生活者の視点が強調される所以です。
徳川直属の旗本、御家人は、幕末には、武士・・戦闘集団としては全く役立たずになっていたのですが、農業から切り離され専門武士化して行ったことが、かえって本業の「武」の方でも、無用・役立たずになってしまっていた原因でしょう。
幕末に活躍したのは、主として下級武士であったと言われますが、下級武士はすべて兼業農家(あるいは坂本竜馬のように商家)であった点が大きいのです。
専門家と言うのは、意外に弱いのです。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
