03/07/06

国王軍武士の違い1(兼業歴史)

商人と物つくりの関係に入る前に少し、兵農分離の話に寄り道しましょう。
わが国では、天智天皇時代からの長年にわたる自給自足経済の結果、農民・これをバックとする武士の力が強くなって、専制制がなかなか根付かなかったことも分ります。
どこの国にも、兵・・軍が存在するのですが、諸外国ではナポレオンによる国民軍の創設までは、兵農分離が原則でした。
明治維新までの日本の武力の特殊性は、中央政府直属の兵ではなく、各地の農民に地盤を持った草莽の武力であると言う点でしょう。
幕末まで、各地の武士の多くは、(上級武士を除き)半農半武であったことを、12/22/04「士農工商(兵農分離2)の実際2(江戸は初めからサラリーマン社会だった?)」のコラムで書いたことがあります。
蒙古襲来で戦ったのは、各地から集まった連合軍であったばかりか、現に土に密着した兵力だったのです。
(専業兵士はちょっと負ければ、物分りが良くて実は弱いのです)
日本は、明治の徴兵制以前から国民軍だったのです。
或いは幕末の長州の四国戦争や薩英戦争でもそうですが、彼らが独自に一種のゲリラの如く戦っていたのであって、日本全体の戦いでは有りませんでした。
そこが清朝のアヘン戦争との違いで、一部負けたからと言って領土の割譲などを西洋列強が要求できなかったのです。
焦土戦術で徹底的戦うといえば、(高杉晋作の主張です)4ヶ国は、近代装備で一時の戦いには勝てても、僅かな兵力しかありませんので、領土の恒久的占領は不可能と言うことで、占領地から撤退をするよりほかなかったのです。
民族全体を敵にまわしての占領は、現在のアメリカの物量をもってしても、ベトナムで負けてしまったことからも分かりますし、まして、当時は、蒸気船と言っても今のように何万トン級でなく、大きくても千トン級でしょうから、ホンの数百人程度の兵士が来ていたに過ぎないのです。
イギリス本国からの補給は、気の遠くなるような距離ですから、続きません。
蒙古襲来時に日本が勝ったのは、偶然の台風(神風)ばかりが喧伝されますが、そればかりではなくて連夜の夜襲の繰り返しで、蒙古軍が参っていたのが原因です。
せっかく昼間の戦いで、陸地の一部を占領しても夜襲を避けるために 夜は舟に帰らざるを得なかったことに勝因があったのです。
蒙古の大軍でさえ、陸地にとどまることが出来なかった例を思い起こしても、数百人程度の西洋連合軍が、恒久的に一部占領を続けることは不可能であったことは直ぐに分かるのです。
武士が草の根に根ざした存在であったからこそ、こうした強烈な民族意識とその主張を貫徹出来たと言えるでしょう。
アジア中で列強に対する領土の一部割譲や、租借地が次々と出来ていたのに対し、日本だけがこのように徹底抗戦を主張して、免れる事が出来たのは、国王直属軍・・・・要するに雇われ人です・・・しか存在しない国との違いだったでしょう。



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