03/05/06

商から農への転換13・・・中国の場合5(鄭和遠征3)

05/15/05「木綿産業(イギリス産業革命と日本の対応)1(インド支配とは?)」以下の連載で書きましたが、売るべき優越した製品があってこそ、砲艦外交・・市場開放要求が成功するのです。
製品後進国が武力だけで、先進国に市場開放を迫って市場が一つになれば、開放を迫った方が参ってしまうのは、自明です。
このように武力は、市場開放で優越する方が、もうけた富を満載した自国の商船や隊商を略奪から守るためにあるのであって、武力で商売がどうなるものでは有りません。
明の時代になると、陸路中心時代の貿易品であった軽くてかさばらない絹から、当時は海路交易にあわせて、重い陶器類の輸出で稼いでいました。
色目人に相場を牛耳られないように、明朝は自分で輸出ルートを押さえようとしたのでしょうが、こうした駆け引きを武力で確保しようとするのは無理があったでしょう。
今で言えば、香港その他の商品取引市場を武力制圧したからと言って、原油その他の商品市場の値決めを支配することはできません。
その意味では、漢人は、根っからの商人でない弱さ・・商に対する理解不足社会なのでしょう。
(国家統制に馴染みやすい心理の国民でしょうか?)
このように中国は、古代からの商業主義社会であったと言っても、自分で商売したことのない文字とおりの灌漑民族(漢民族と言われる由来です)でしかない点が特徴です。
今でも対外態度がデカイのは、歴史があるというか武力に頼らねば何も出来ない自信のなさの裏返しと言うべきでしょう。
ちなみにイスラムを悪く言うために「コーランか剣か」と言われますが、そんな強迫で人心をつかめるわけがないのであって、モンゴル支配下或いは、他所の国でも着実に信者を増やしているのは、むしろ商に携わるものにとって便利な思想であったことの方が大きいのです。
中国では、こうして古代からの伝播社会の終点として文明の恩恵に浴してきた経験から、商業に対する志向性を強く維持しつつ、実質は農業社会に変身していたといえるでしょう。
中国が農業社会になりながらも、地方豪族が成長せず、専制君主制のままで来たのは、これまで、12/29/05「生活手段の相違と棲み分け6(漢楚の興亡1)」以下のコラムで書いて来たように、国内支配の実質は異民族支配であったことや、周辺異民族がいつも侵入を窺う体制にあったことなどから、政権維持のためには中央集権的強権装置が欠かせなかったことにあったでしょう。
この点は、スペイン、フランスなど外敵にさらされていた国では、王権が早くから強くなって(諸侯の地位が弱体化して)いたこと、この中から重商主義の発達につれて、絶対君主制が早くから成立していたことも既に書きました。



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