03/05/06

商から農への転換12・・・中国の場合4(鄭和遠征2)

考えようによれば、鄭和の大遠征は前漢時代に張騫や李広利の遠征で、古代通商路であった西域諸国を支配下に収めたように、今度は海の通商路である東南アジアを支配下に押さえようとする意図があったのかもしれません。
そこで通商代表団を「遠征」と大げさに言うわけですが、中国にとっては初めて自分から出かけていく対外交易であったので、武力制圧すればいいと言う古代の経験による発想で5万人とか言われる大軍団で行ったのでしょう。
漢帝国の時代に張騫の行使、これに続く李広利将軍の大遠征成功の再現を期したものだったと思われます。
李広利の大宛遠征の成果については、12/27/05李広利の勝利(汗血馬)と李陵の悲劇」のコラムで紹介しました。
しかし、いくら商は軍が後ろ盾にある時代とは言え、露骨に軍そのものが行ったのでは、押し売りそのものでうまく行くわけが有りません。
西域諸国のように逃げ場のない気候の厳しいところでは、従わないものは皆殺しにし、漢民族の植民をすると言う発想でした。
楼蘭の近くの遺跡で、漢人の灌漑した跡が残っていることを、12/27/05「民族の消長4(生活手段の相違と棲み分け3)(漢民族の場合2)」のコラムで紹介しました。
東南アジア・・ひいては海路は豊かな地域ですから、一時的な武力制圧だけで皆殺しに出来るわけではないし、(何せジャングルに逃げ込めばおしまいです)力づくで支配下に収めるのは不可能なのです。
そこで何次にも亘る大遠征が繰り返されるのですが、何回もやったから大したものだと言う歴史記述ですが、逆に武力ではどうにもならなかったことの証明と見るべきでしょう。
結局これが失敗に終わったので、以後なりを潜めてしまったのです。
ついでに、近世のオランダやイギリスが、武力を背景に、次々と植民地を作って成功していったのをみると、武力がすべてのように誤解し勝ちですが、これは教育の誤りです。
後に書く、「コーランか剣か」の話も、武力重視思想による誤解に基づくものです。



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