03/03/06
商から農への転換7・・・西洋の場合3(キリスト教の多神教化)
ところで、平成17年9月22日・・・・・・1「商から農への転換2・・・西洋の場合1」のコラム以来のテーマは、農業が画一的宗教よりも多様な宗教を育てるかと言うものでした。
このテーマで、西洋と日本を比較していたのですが、途中いろんな関心から横道に逸れてしまい、最後は、利息の問題に深入りしてしまいました。
キリスト教は、元は商業社会で生まれたものですから、これまで書いているように商業では取引ルールの統一性が命(しんしょう・身上)ですから、唯一神教になっているのです。
これが、ローマ帝国に受け入れられ、さらにアルプスを越えて農業社会化してくる中で、キリスト教も利息を取るようになったことを紹介してきましたが、それだけでなく、農業化につれて多様な価値観を認めざるを得なくなってきます。
何回も書きますが、農業を営むには、中央の統一指令を必要としないと言うよりも、気候風土に左右されることから、地域性があって画一的規制は無理なのです。
こうして、キリスト教は、西洋農業社会にはいって、多神教化したのです。
(キリスト教は日本同様に八百万の神を祭る多神教だなどと言うのは、私だけでしょうが・・・一般の意見の真似を書いても意味はないのですから、まあ付き合ってください)
12使徒や、いろんな聖人が次々と生まれてくるのは、(バレンタインデーの聖バレンタインもそうです)日本で何かで成功すると、すぐに何とかの神様(野球の神様とか、経営の神様など)として祭られるのと似ています.
勿論学問的厳密さで言えば、いろんな聖人は飽くまで、唯一神の教義に反しない範囲で、その弟子みたいなものとして存在が許されているものであって、日本の多元的価値観に基づく八百万(やおよろず)の神々とは、理念が違います。
仏教のいろんな菩薩様と同類と言うところですが、イスラムで利息を投資収益と言い換えて事実上公認しているのと同じで、理論と言うものは得てして、こういう誤魔化しがあるのです。
(お酒を般若湯と言って誤魔化すのも同類です。)
素人の直感を馬鹿にしてはいけません。
いずれにせよ、キリスト世界では、菩薩様程度の聖人を各地に作り、各地の習俗にあわせて御祭りするのを公認せざるを得なかった事実が重要でしょう。
イスラムでは、このようなことがないように思いますが、如何でしょうか?
菅原の道真が天神さんとして祭られ、日露戦争で有名な東郷元帥は東郷神社に祭られているのは、ご承知のとおりです。
西洋でも、ケルト・ゲルマン時代を経た各国に、妖精の話しが一杯あることはご存知のとおりで、キリスト教に教化される以前には、いろんな神々がいたようなのです。
それがキリストの浸透で片隅に追いやられたのですが、農業社会化していったことから、本来唯一神であるべきキリスト教自体が多神教化して変容し、他方で妖精も生き残ったと言うべきでしょう。
(日本で言えば、大和朝廷に滅ぼされた各地の神々が、出雲の神様のように祭られているのと同じでしょう。)
09/15/05「神道3(被征服者の神々・・妖精)」のコラムに書きましたが、比叡山のふもとの坂本の日吉神社に行きますと、全国各地の神々が祭られています。
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