03/02/06

商から農への転換6(回教実利仏教哲理2)

イスラムの本質は、厳しい自然風土から生まれた点が強調されるのですが、実は現象的には「商」にかかわる民の規律を定めるものとして機能し、東南アジア、或いは、中央アジアなど交易ルートにそってに広がっていったことが分ります。
一時仏教は西域諸国に広がり、(アショカ王の時代・・・アショカ王自体、中央ジアバクトリアから北部インドに侵入した王でした)これが西域から伝播して北魏のころに中国に入って来たのですが、肝心の西域諸国はその後に生まれたイスラムの影響下にはいってしまったのです。
アショカ王と中央アジアの関係については、12/13/05「インドの場合(乾燥地と湿潤地民族)」のコラムで少し紹介しました。
チベット族も一時西域の通商路に進出したことがありましたが、ホンの一時的でそのままチベット高原に引き下がり、通商路から孤立して現在に至っているために、イスラム化しなかったといえるでしょう。
西域諸国がイスラム化した結果、イスラム教が西域諸国経由で中国に入ったために、西域に住んでいたウイグル族の漢字名の頭文字「回」を取って,中国では回教と呼ばれるようになったのです。
この地域が瞬く間にイスラム教徒になった原因は、物産が少なく自給できないところから交易を生業・・死活問題とする諸民族であったことと、無関係ではないでしょう。
仏教が最後に到達した日本で、牢固とした勢力を残し、途中の中国では、一時隆盛を誇ったものの、ほとんど残っていないのは、商業都市国家的成り立ちのママ来た中国と、白村江の敗戦以来鎖国してしまい、純粋農業社会化していた日本との社会意識・・精神風土の違いにあるとみるべきでしょう。
また、遣唐使のころには、既に回教が中国に入っていたのに、日本には伝えられなかったのは、回教の持つ商業思想が日本の農業社会の民情に合わなかったからでしょう。
韓半島でも、仏教の影が薄く、実利を尊ぶ儒教がそのまま残っているほか、戦後ではキリスト教が凄い勢いで信者を増やしましたが、これはどう言う意味があるのでしょうか?
韓半島の社会は、基本的には中国社会と歴史経過が同じですが、農業社会と商業社会の合体した社会・精神状況が、商業オンリーの回教までは踏み切れずに、農業と商業精神を併せ持つ中間的な儒教やキリスト教に向かったのかもしれません。



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