03/28/05

夫婦別姓11(庶民の氏1)犬猫にも氏があった?

一般に武家未満では苗字帯刀が許されたのは、特別の許可を受けた名主など一定の身分のものだけで、庶民には名前しかなかったと言われますが、実際には、みんな氏を持っていて表向き許されなかったに過ぎません。
11/06/02 「自然人(民法 2) 1」のコラムで、町人の定義を書いたことがありますが、町人にまで昇格しない無宿者の段階では氏がなかったでしょうが、私の言うのはちゃんとした町人又は農民の話です。
明治になって、いきなり出鱈目に氏をクリエイトしたのではないのです。
元々新免無二斎の子供の武蔵が、宮本村の武蔵と名乗っていたように、それぞれが他所に出かけると、どこそこの何某と名乗るのが普通でした。
千葉で有名なのは、佐倉の地名を冠した佐倉宗五郎でしょうか?
氏は元々は何とか村の何某(村を出たときの呼称です・・・村うちでは、宮本とか宮前・宮下、川の近くでは橋本とか橋詰とか小川大川などもっとマイナーな屋号を使っていたのです。)みたいなものでしかないのですから、極端な話が犬でも「どこそこの白とか黒」と言うのですから、氏のない犬はないのです。
また歴史上苗字帯刀を許された場合、何と言う苗字にしようかと大騒ぎする事例がまったくないことからも分るように、その前から非公式に持っていたのです。
ただし、「犬猫も持っていたよ」と言えばとんでもない先進国のようですが、逆から見れば庶民は、犬猫と同じ程度の氏しか持っていなかったともいえるのです。
氏がなかったと言うのではなく、あやふやな氏の使用にルールを定めて、正式化しようとしたのが明治の政策だったと言えるでしょう。
武士は、どこへ引っ越しても主君を変えても氏はそのまま持って歩く現代と同じ使用法でしたが、農工商のほうは、引っ越せば変わるし、主人が変わればその氏を名乗ると言うまさに草莽の民でした。
中国や朝鮮からすれば、だらしない氏の用法をしている国民が大多数を占める日本は、僻地の未開の民と思われていたのです。
明治政府が、武士だけでなく国民一般を武士同様の道徳で律しようとしたのは、これまで各所に書いて来ましたが、こうした国民レベルを武士階級まで引き上げる政策であったとも言えるでしょう。
そういう訳で、本当は創氏ではなく正式化したに過ぎないのですが、明治の創氏と氏の統一とは少し関係がありそうなのです。



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