03/26/05

夫婦別姓9(ナポレオン法典の影響)氏の統一

親族法に関しては、国粋主義者が敏感に反応するなど民族感情刺激を避けることと、国家の体面もあって、フランス法の輸入かどうかの具体的事情を、政府は必死に隠蔽してしまったようです。
このため今のところ真相は不明ですが、全体像は今後の研究に待つしかないでしょう。
ところで、ナポレオン法典は、近世の安定した家産の分解が進み始めた時代に遭遇し、必死に押しとどめようとした反動的側面があったとも言われております。
ジャコバンの急進的改革に、待ったをかけて(ブリュメールの反動)誕生したのが、ナポレオン政権でしょう。
「ナポレオンは偉大」だと言う宣伝が行き届いていて、反動的側面の説明をし難い雰囲気ですから、学校でも全く教えないでしょうが、いわゆるブリュメール反動の結果、ナポレオン政権が誕生し、続いて皇帝に就任した言う事実を直視すれば、そのナポレオンが制定したナポレオン法典の基本的性格がおおかた知れようと言うものです。
ベートーベンが名作「英雄」作曲し、その後ナポレオンの帝政宣言に怒った彼が「英雄」の第1ページを引き裂いたと言う故事からも、日本の教育界と違って西洋全般では、ナポレオンの反動的性格をきちんと見ているのです。
(ただし、政治と言うのはいつも妥協の産物です。)
結果的に明治維新当時としては、世界に冠たるナポレオン法典は、日本の武家の家制度の実態よりも反動的な内容になっていたとも言われています。(通説かどうかまでは知りません。)
家族法では、西洋の方が進んでいたのではなかったのです。
これまでも、05/27/03「男尊女卑の思想6(水田と畑作等)」等の連載で書いてきましたが、家庭内における女性の地位は、昔から西洋や中国などと違ってわが国ではすごく高かったのです。
明治政府は、家父長を頂点とする(女性の地位を低下させる)家の制度の創設に際し、わが国よりももっと古めかしいナポレオン法典の家の制度が都合が良かったのでこれを取り入れたのです。
わが国の妻の無能力制度は、ナポレオン法典の取入れで創設されたとも言われていますが、(この点は通説に近いようです。)その他の部分が今のところ明らかではありませんが、明治政府は、ナポレオン法を手本に反動的な家族制度を創設したのだと私は思っています。
(当然、この点は私の根拠のない想像・妄説です。)



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