03/26/05
夫婦別姓8(江戸時代の夫婦の氏と明治の議論)
姓と氏は本来違うのですが、わが国ではずっとこんがらがってきたことを表すのに、以下の映画を紹介しておきましょう。
私の子供時代の映画で「大河内伝次郎主演の「丹下左膳」というのが有って、「姓は丹下、名は左膳」という名セリフがありましたが、法的には「姓ではなく氏でしかない」のですから、間違ったセリフだったのです。
姓は血統をあらわす言葉ですから、法で同姓にするなどは、極端な言い方をすれば血液型A型の女性がB型の男性と結婚したら、B型に変える法律を作るようなものですから、本来無理と言えるでしょう。
せいぜい同姓婚を認める程度しか、法律は手が出せないと言うわけです。
そうは言ってもそれは、それは観念論であって、朝鮮系の人が好む論理に過ぎないとも言えるのです。
実際は、いつのころか不明の遠い昔の先祖が同じと言うだけで、それほど血液が直接的ではないので、法すなわち社会通念が許容さえすれば実際は可能です。
実際に中国でも後世になると、姓と氏がごっちゃになって来ているらしいです。
夫婦別姓推進者も反対論者も「夫婦別姓問題」と称していますが、そこまで考えて議論しているのか、単なる別氏の問題と区別が付かないで間違えているのかは不明です。
多分皆さんは、別の氏にするのを認めろとかそれを認めないと争っているだけではないでしょうか?
そうであれば、別氏問題です。
3月24日・・・2「氏と姓3(夫婦別姓5)「八色の姓」のコラムでも書きましたが、わが国では反対論、賛成論を戦わせている論者でさえ、別姓と別氏の区別をしてない人が大半です。
話が横に行きましたが、再び江戸時代まで夫婦の氏がどうであったかについて書きますと、私の考えるところでは、安土桃山まで夫婦別氏であったものが、何ら革命的な社会変革・必要性もなく、江戸時代になっていきなり夫婦同氏になるわけがありません。
またそうした特別な記述が一切ない以上は、前時代のまま習慣に従った別氏の呼称があったはずでしょう。
なお、夫婦別氏反対論者らしい人の意見を見ても、江戸時代までは別氏であったが、時代遅れの制度だから、もとに戻すのは反対だと言う意見のようですから、反対論者も江戸時代には別氏であったことは認めているようです。
裁判の事実認定のルールと同じで、明治政府がうやむやにしただけでは、江戸時代にそれまでの長年のわが国の風習が一変したことにはならず、逆の推定が働くと言うわけです。
明治のはじめに「夫婦の氏を統合する必要があるのかどうか」の議論の経過は以下の事情のようです。
一旦政府は別氏にしようとしたが、国民の反対で立ち消えになったとも言われていますが、それまで別氏だったのに、従来どおりの制度のままならば、反対論が広範に広がる訳がないのです。
問題は、それまでの別氏は上級階級だけの話であって、明治政権支持基盤となった中堅農家・中小地主階級ではそうでなかったと言う事実です。
もっと庶民には、氏の必要すらなかったのです。
庶民にまで武家の家制度を押し及ぼそうとしたのが明治政府でしたが、(この点については05/28/03
「男尊女卑の思想8(明治の思想1)」以下で連載しています)中堅の庶民では、引っ越したら変わるし、奉公人でさえ主人の屋号を名乗って良いようなあやふゃな氏でしかなかったのです。
ですから夫婦別氏でさえなく、妻は自在に夫の屋号を名乗って家産を自由に切り盛りしていたのですから、いきなり、庶民にまで「妻は夫の氏を名乗ってはいけない」と言われると、まるで仕事にならなくなってしまいます。
夫婦同氏というのは今と違って、嫁や婿が婚家の名前を名乗る権利として、逆に考えられていたのです。
無茶な制度で実態に合わないとなってしまったのです。
政府はその程度のこともしらずに、政治を進めていたのです。
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