03/25/05
夫婦別姓7(夫婦別氏の歴史2)
江戸時代での妻の呼称がはっきりしませんが、これは明治政府の思想によるところが大きいのです。
何故かといいますと、北條政子であれ、足利氏の正妻日野富子であれ、そのときには、お方様とか御台様で通称されていた筈で、一々北條政子様などと声をかけることはありえなかったのです。
ある、従業員から社長に対する事件で、奥様のことを「○○さんは・・・」と名指しで書いて来た文書がありました。
いかにも「自分は今や上下関係のない対等の交渉相手」と言わんばかりの表現・その露骨さに驚いたものです。
わが国では、今でも目上の人の名前をアカラサマに呼ぶのは失礼にあたり、課長とか社長とか先生と言うのが普通で、女性に対しては、西の方様とか奥様とか婉曲表現が礼儀なのです。
勿論、平安時代に藤原道長などと人が呼んでいた筈がないのです。
私たちが知っているのは、次の時代につけられた後世の呼び名なのです。
安土桃山までは、妻の名称が実家の氏で知られているということは、江戸時代にはそう言う思想であったということでしょう。
明治政府は夫婦同氏と定めた以上は、直前の江戸時代まで、別氏というのでは都合が悪いので、前時代の呼称をうやむやにしてしまったのではないか?というのが私の推論です。
ただし、これは素人や庶民に対する影響を言っているだけで、本当は調査する気になって江戸時代の正式文書を研究すればすぐ分る話です。
私の言いたいのは、政府は講談や浪曲などマスコミで世上流布させないようにしてしまったという程度の意味です。
将軍の呼称と大君の呼称の問題でも、03/11/04「幕府(将軍家)とは?2(大君・大樹公の抹殺)」前後の連載で、記録上は将軍などと言う表現はなく、大樹公などが正式文書です。
今では、徳川時代に誰も使っていなかった将軍の呼称が、マスコミを通じて暴れん坊将軍とか天下の副将軍など講談レベルの知識が一般化し、大君や大樹公の方は専門家しか知らないのと同じです。
大樹公などの名称は、外交文書など対外的公文書が多くて、明治政府は隠蔽しようがなく、専門家でない私のようなものでも目に触れるというわけです。
しかし、妻の氏を示す文書は、性質上殆ど残っていないでしょうから、(実家との文書やり取りがあっても、親子でワザワザ氏を書かないのが普通です。)一般的に流布し難いのです。
夫婦の氏の問題は、こうして浪曲・講談物語などで表現されることが、本当の史実のように信用されがちです。
江戸時代の記録を綿密に調べれば分ることでしょうが、私は専門の学者でないので、こうした調査は専門家がやって欲しいものです。
西洋並みの法治国家を目指し、「これまでのように何事もうやむやと言う訳には行かない」窮屈な社会の創設を目指した明治政府としては、氏・姓の問題は戸籍整備の過程で逢着した困ってしまった大事件でした。
わが国では「同姓娶らず」のルールが表向きだけで実際機能していなかったのですが、明治になって、戸籍を整備し、法と実際を一致させるとなると大問題になったのです。
王政復古で、先ずは律令制に戻そうとした時期がありました。
「同姓娶らず」を法制化するには、習俗がなじみませんから、これはいくらなんでも取ることがとても出来ず、律令の復活は、この分野では日の目を見なかったのです。
かと言って姓(血統)を統合しようとするのは、事実の問題ですから不可能です。
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