03/24/05
氏と姓2(夫婦別姓4)天皇家の連続性と外戚
天皇家の連続性と外戚日本で姓の禁忌、同姓娶らずの習慣・タブーが発達しなかったのは、前回コラムで書いたように性関係の自由な社会であったからだと思います。
性関係の自由な社会と中国、朝鮮のように不自由なタブーが発達した社会との違いは、何故起きたのでしょうか?
私の思うには、中国文明は内陸で興ったものですから、人間の交流が閉鎖的であったのに対し、日本は基本的に海洋民族であって、人の交流が開放的であったことによる違いではないでしょうか?
閉鎖社会では、近親婚のリスクが大きかったので、そのリスク回避ルールが発達したのでしょう。
では朝鮮では、何故同じタブーが大事にされているのかという疑問ですが、朝鮮では隣の大国中国の教養をそのまま大事に受け入れる習慣が強いからに過ぎないと思います。
今でも、わが国の場合は、外国の文物を受け入れるとしても、日本流にアレンジしない限り受け入れないのですが、(カレーライスも、いまや日本料理です)朝鮮・韓民族の場合は、アメリカナイズするとなれば、わが国に比べてストレートに受け入れる国民性が散見されます。
大雑把な議論で申し訳ないですが、朝鮮民族の反発もあるでしょうからこの辺にしておきましょう。
ちなみに、モンゴル族は日本と同じで「同姓娶らず」のルールは成立しなかったようですが、これは広い草原を自由自在に駆け巡っていて、閉鎖社会ではなかったからでしょう。
ついでに、同姓娶らずに関係するルールですが、中国では古来から、連続外戚は絶対に認められない社会でした。
歴史上実力外戚はいくらもあるのに、続けて自分の実家から后を送り込めなかったのです。
このために、外戚で実権を握っても漢初期の呂氏や、前漢を滅ぼして新を創立したた王莽、唐の則天武后等々、自分で王朝を立てない限り、次世代にまたがって権勢を維持できないところから、日本とは違った争いがおこったのです。
外戚のまま、実権を振るっている方が政敵からの反発も少ないのですから、実力者と言う者はできることなら実力者のままでいたいものですが、それが出来ないから新王朝を樹立してしまうのです。
同姓娶らずのルールの1適用である「連続外戚禁止のルール」・禁忌を破った場合の反発の方が、政権簒奪の汚名よりも怖かったと言う実証と言えるでしょう。
日本では、蘇我氏以来藤原氏の連続外戚が認められているのは、ご存知のとおりですし、こうした制度が可能であるからこそ、有力者が天皇家を乗っ取ってまで自分の王朝を建てる必要に迫られなかったのです。
中国では、臣下の実力者が2代続かないように、外戚の連続禁忌のタブーを作り、あるいは宦官などで時代に権力が移行しない様にしてきました。
この硬直した重い制度が、結果的に王朝の寿命を縮めたのですが、他方で何事も柔軟なわが国では、天皇家は実力を失った後も、藤原氏や清盛などに政権を簒奪されずに済み、今日まで連綿として続いた1原因であるともいえます。
モンゴルでも、1度嫁取りすると同じ部族から、既得権みたいに次々と嫁取りする習慣でした。
ニッポンとモンゴルが同じウラル・アルタイ語族であるだけでなく、こうした人類の根源的な分野で共通なのは、不思議と言うかあたり前と言うか、面白いものです。
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