03/22/05

家庭は国家の基礎2(憲法104・民法130)「両性の本質的平等」

明治政府は、統治の手段として天皇を頂点とした家父長制とセットで国家イメージも作ったのですが、家父長制が敗戦で消滅し、「両性の本質的平等」を旨として家庭が作られることになったのですから、本来は国家概念も新しくすべきだったのかも知れません。
憲法を見ておきましょう。

憲法
第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】

 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。

民法ではこれを受けて戦後以下の条文が追加されました。
民法も紹介しましょう

民法
第1条ノ2 本法ハ個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等トヲ旨トシテ之ヲ解釈スヘシ

戦後は、家が先にあるのではなく、個人の両性の結合で家庭が出来ることになったのです。
考え方が変わったとしても、私は家庭の重要性がなくなったとまで主張するものではありません。
確かに、民法の中でも、親族・相続法は一種の強行法規であって、特約でどうこう出来るものでない部分が多いのです。
しかし、大枠は強硬法規でしょうが、親子の礼儀、食事の仕方、団欒の仕方まで、強制的に縛れないから、昔から法律になっていないのです。
ここで問題なのは、法律で決めきれない空白部分をどうするかと言う議論ですが、うるさい人は空白部分を自由にさせるとロクなことはないから、できる限り「道徳教育、斯くあるベシ教育」で縛り付けたいのでしょう。
私は、生活をだらしなくしろと言うのではなく、世の中の流れに合わせて自然に生活リズムや考え方が出来るのであるから、無理に過去の生活リズムに合せた道徳、流儀を頑なに強制すべきではないと言う意見なのです。
新しい生活流儀が新しい産業構造や生活アイテムから生じているならば、これを容認し、合理化するように方向付けていくのが私の考え方です。
道徳教育を強調し、指導したがる人たちは、どちらかと言うと生活基盤の変化に目をつぶり、過去に良かったとされる道徳・生き方を強制したい傾向があるように思われます。
(いまどきの若い者は・・・式の考えが好きな人たちでしょう。)
私の考えでも、単にだらしない生活を容認し、奨励しているのではありませんから、どう言う生活を基本に道徳を考えるかの違いだけのようでも有りますが、それだけではありません。
うるさい人は、基盤の解釈が私とは違うのだろうと思いますが、それだけでなく、変化を認めたくない気持ちが底流にあるために、国民に任せる範囲の巾の違いが大きいともいえます。
自分の道徳観に対する自信が強いのでしょう。
夫婦別姓問題も、選択性にしようというだけなのに、強硬な反対論が多くて流産してしまいましたが、似たような発想の人が多いからではないでしょうか?



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