03/14/05

単身社会と社会の安定3(1律無能力化の害)

社会のフリーター化=独身化の進行は、江戸時代に都会に出た若者=独身者の再来ですから、歴史の繰り返しとしてみることができるでしょう。
違うところは、江戸時代のように20代で死んでしまって、社会から消えて行かないところです。
20〜21とまで行かなくとも20代で消えてくれれば、治安だけでなく年金問題・医療費増加もたちどころに解消ですから、政治家も楽です。
そうは言っても、今更早死社会に戻せませんから、前回書いた無能力、去勢の進行を図って、人を殴るほどの元気もない若者ばかりにすれば、性犯罪ばかりでなく暴力事件も起きないでしょう。
人の能力は不均衡ですから、最高能力者を基準に無害化すれば、生殖能力が及ばない人、普通に仕事する体力のない人が殆どになりますから、民族が消滅してしまいます。
適当なところで、無能力化・もやしっ子政策の進行をやめるしかないでしょう。
ところで、一定水準でやめるとしても、エネルギーのはみ出した人を誰が押さえるかと言う問題になります。
うまい具合に人間を分類して育てられないどころか、どちらかと言えば、有能な子供の方が行儀良く育てやすいものです。
こうして、元気印の男は警官や兵隊になる人よりも、不良になる人のほうが多くなるでしょう。
先般報道されていたように、駆けつけた警官が棒を振りまわされて逃げ廻る事態がこれから頻発して来るのではないでしょうか?
お行儀の良い公務員=警官では、セコムが来るまで逃げ回っているしかない時代が来るのかもしれません。
最近(この十数年)、警官の発砲基準が緩くなっているのは、この体力格差が背景にあるのかもしれません。
末端の不良以外は、みんなもやしっ子にする政策では、これを押さえるのも不良しかいなくなります。
平安時代末に、公務員の警備が役に立たなくなって武士が発達したことの再来のようですが、私は違うと思います。
洋服の流行その他、歴史が繰り返すように見える現象が多いのですが、その基底が同じであることがありえないのです。
平安末から発達した武士は、「毒には毒をもって制する」というごろつき、不良集団として利用されたのではなく、腕力・闘争力のすぐれた専門集団として頭角をあらわしたに過ぎません。
彼らは政治的・知的能力が低いから地下人(じげびと)だったのではなく、身分が低いために能力発揮チャンスがなかっただけですから、実務処理をしているうちに地下(じげ)人から這い上がって支配者になれたのです。



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