03/09/05
江戸時代の離婚制度について、女性側からは俗に「鎌倉東慶寺に逃げ込んだときだけ、離婚できる」と言われ、いかにも女性側からの離婚は殆ど不可能なニュアンスで語られます。
しかし、12/17/02「権利能力と行為能力 2(民法23)」コラムで紹介したように、離婚、再婚は自由に行われていたのが実情でした。
民法120,121〜125のコラムでも書きました。
東慶寺に逃げ込まねばならなかった場合とは、「2月17日・・・1DV防止法の限界と東慶寺駆け込み1」以下のコラムで書きましたが、現在のストーカーのようにどうにも話の分らない稀有の男から逃れるシェルターのような役割に過ぎなかったと私は思っています。
欧米の離婚禁止規定、習俗を、明治政府は近代国家の体裁を整えるために取り込んだ手前、江戸時代はもっと大変だったと宣伝していたに過ぎないのです。
性の不自由化は、本来近代国家かどうかの基準ではなく、単なるローマンカソリックの古い基準でしかないのですし、これは修道院制度と並ぶ人減らしの政策目的に過ぎなかったものと私は思っています。
修道院に入れられると神と結婚したとか、うまいこと誤魔化されて、一生涯異性と交われなかった一種の奴隷制度でした。
修道院の中からでることもままならなかったのですから、終身刑の刑務所以上にひどいところだったでしょう。
終身刑(わが国では無期懲役と言います。)と言うのは、一定期間すると仮釈放で実際は出られるのですから、修道院の方が厳しいでしょう。
刑法を見ておきましょう。
刑法
(懲役)
第12条 懲役は、無期及び有期とし、有期懲役は、1月以上20年以下とする。
《改正》平16法156
2 懲役は、監獄に拘置して所定の作業を行わせる。
(仮出獄)
第28条 懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の3分の1を、無期刑については10年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に出獄を許すことができる。」
この条文を初めて見た人は驚くでしょうが、終身の無期刑になったといっても、わが国ではたかだか10年もすれば出てくるのです。
ジャンバルジャンが、僅かな窃盗くらいで、何故そんなに長く服役していたのか、日本の法律からすると理解に苦しむところです。
物語だからいいですけども・・・・・。
オーム真理教の事件では、世間を騒がせましたが、逮捕された多くの信者は(殺人の実行犯を除けば)すぐに裁判が終わって、服役したと思ったらすぐに出て来たのを思い起こす人も多いでしょう。
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