03/05/05

ストーカー法「・・・出来る」規定の害(法律を作れば、犯罪が減るか?)

ストーカー法では、全て、してもしなくとも良い「・・・出来る」規定でしかないのですから、被害者の訴えに耳を貸さずにいて、桶川ストーカー事件みたいに「・・・の場合に該当していた」ことが後に分っても、警察の義務違反ではなくなったのです。
殆どの人はストーカー法が出来て安心と思っているでしょうが、この法律によって却って警察は訴えがあっても、「やってもやらなくともよくなっている」ことを知っている人は、少ないのではないでしょうか?
[そんな馬鹿な!本当に必要なものはやりますよ〜。」というならば、「・・・・・の場合には、命令する」とか「しなければならない」とすればいいのです。
「することができる」なんてふざけた条文では、法的に何の意味があるの?と言うところです。
「自由裁量権は持ちたいが、やらなかった、やってくれなかった責任を持たない」と言う、まことに無責任な法律ではないでしょうか?
こんな法律が出来なくとも、以前からやるべきことをやってれば良かったのです。
ところで、「・・・・・できる」規定はやらないだけであって、
    「警察権力がやらないだけならば、不当処罰がないのだから、害がないだろう」
と言う意見が、あるかも知れません。
しかし、このシリーズで警察の偏頗な事件処理の実態を書きましたし、恩赦のコラムでも書きましたが、特定の加害者だけ検挙しなくともいいと言う、あるいは、特定のもの、グループがいくら犯罪をしても恩赦出きるとなれば、不当処罰の黙認同様の裏腹の危険があるのです。
ストーカー法が出来てからは、警察の怠慢が後に明らかになっても、法的にどうってことがなくなったのは、法治国家としては問題です。
裁量権の逸脱も国家賠償の問題にはなりますから、警察・国家が全く法的責任を逃れたと言うのではありませんが、「ねばならない」形式の義務規定に違反したのに比べて、「・・・することができる」規定では、義務違反の責任を問うのは一段と難しくなっているのは誰の目にも明らかでしょう。
これでは、誰も警察、国家権力自体を信用しなくなって、自衛するしかなくなってしまい、いよいよ犯罪が増えるではないでしょうか?
警察は、犯罪が増えれば、間に合わないことを理由に、何でも検挙できるような法律が次々と作られるので、左団扇と言うところかな?
繰り返しますが、国民が望んでいるのは公正な基準に基づく検挙であって、警察の気分次第で「やってもやらなくともいい」ような無責任な法律を一杯作って欲しいわけではありません。
私がこの連載で主張するように、DV防止法も「行政の問題として迅速に現場制圧・制止してくれることこそが、国民の希望であって、後の処罰を拡大して警察国家にして欲しいわけではありません。



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