03/13/04

幕府とは?4(征夷大将軍)

明治政府としては、鎌倉以来の武家政権は、征夷大将軍であるから幕府政治をしたのであって、あくまで、朝廷による授権の範囲内であったと言う、つじつま合わせを考えたのでしょう。
しかし、征夷大将軍は占領地で幕営政治をすることは可能ですから、蝦夷のいた東北地方だけを治めるならば、論理が貫徹できますが、国内全部の統治をする権利を認めるのには「征夷」と言う漢字の意味から無理があることが、前回のコラムでお分かりいただけたでしょう。
そもそも征夷と言う、外夷の征服であるからこそ、内地化するまで、或いは、現地政府が機能するまでに限り(現在のイラクや、アフガンでも同様に占領直後は軍政です)遠征軍の司令官である将軍に軍政が認められているに過ぎません。
その意味からは前回のコラムで紹介したとおり、国内騒乱の覇者を征夷大将軍であると言う格付け(こじつけ)をしても、武家政権が朝廷の授権によるものとは言い切れません。
そもそも、国内全部の政治を無期限に授権するなどということは、統治権喪失と同じですから合法的にはありえないことです。
中国で言うところの禅譲でしかありえません。
では、武家政権は何に基づいて政治をしていたのでしょうか?
軍事政権は、征夷大将軍でなくとも少なくとも将軍でなければならないでしょうか?
軍事政権主催者が将軍とは限りません。
余談と言えばこのコラムはみんな余談ですが、世界中見渡しても、エジプトのナセル中佐(ちょっと古いですが、私が中学生のときにスエズ動乱・・・スエズ運河の国有化とこれに反発する英仏軍の進駐=正確には侵略でしょう=があって、私が初めて国際政治に関心をもつようになったときの英雄ですので悪しからず。)に始まり、リビヤのカダフィ大佐(これは、まだ現役です)など、軍事政権は佐官級の権力者が多いのです。
頼朝だって、ご存知のようにずっと「佐(すけ)殿」と呼ばれていたのです。
それに、鎌倉の3代将軍実朝は歌人として有名ですので、皆さんも「右大臣家」という表記をご存知でしょう。
頼朝も、いろんな文書で、「さきの右大将」と表記されるのが普通で、その頃は将軍の肩書きは使われていないのです。
もともと左右の大将は官名ですが、征夷大将軍とか征討軍の大将軍、寄せ手の大将軍は誰某などと言うのは臨時の仕事に対する役職でしかありません。
現在の法律用語で言えば、官名と補職の関係です。
例えば「判事」「検事」と言うのは官名ですが、〇○地方裁判所判事・・〇○地方検察庁検察官検事と言うのは補職されたときの官職名です。
補職については、06/15/03裁判所法(組織5)(裁判官の資格2)5 」のコラムで説明しましたので、併せてお読みください。
織田信長や、豊臣秀吉は、将軍になったから天下人になったのではなく、実力で掌握したから天下様と呼ばれたのです。
軍事政権の本質は官位や官名によるのではなく、実力支配する力があるかどうかでしょう。


今日の読み物関連:




関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:スポーツに関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:文治に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:武断に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:権力に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:江戸に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資