03/12/04

幕府とは?3(征夷大将軍)

吾妻鏡の一節にも「将軍家・・・」と言う言い回しがありますので、明治政府が創作したものではありませんが、信長以来、官名は飾りみたいのもので、殆ど意味を持っていなかったのです。
信長も秀吉も官名を貰って始めて天下に号令できる(貰うまで出来ない)とは、思っていなかったことが明らかです。
信長などは朝廷無視の思想を明らかにする為にか、次々と申し出られた官位授与をあっさり拒絶しています。
村人さえ・・衛門とか・・・兵衛(ヤジロベエ)などなど、勝手に?名乗っていましたが、名前につける普通の表現形式くらいの理解でしかなく、誰も大袈裟な官名とは思っていなかったでしょう。
たまたま徳川歴代が、将軍位を受けていたと言うだけの事実から(受けなくとも「お天下様」であることは変わりません。)ことさらに将軍家と言う呼称を持ち出して、「本来朝廷よりも格式の低いものが、政権を簒奪していたのだという論理立てをしたもののようです。
以後、ものの本や読み物では、「将軍家」を多用し、それまで一般的だった「大樹公」や「大君」の表現を隠蔽して、国民の目に触れないようにしてきたのではないでしょか。
以前、02/13/04「水戸光圀は副将軍?2(大老・側用人政治時代)」のコラムで光圀が副将軍だと言うのは、デッチ上げではないかということを書きましたが、江戸時代には、そもそも「将軍」の呼称は一般的でも公式にもなかったのですから「天下の副将軍光圀を知らぬか!」と見栄を切った所で回りの者は、多分「ぽかあん」としていただけでしょう。
前々回のコラムで書いたとおり、徳川時代には儀式ばって書くときは「大樹公」、その次には御所様、直接には上様などの言い回しであったもので、将軍様とは言ってなかったのです。
いきなり「将軍」と言う官職に焦点をあてて、明治政府との比較をし始めますと、一介の将軍が日本全体の政治をしていたと言う説明がおかしくなって来ます。
そこで、今度は幕府と言うものを考え出したのではないでしょうか?
幕府とは、12/25/03「身分とは?2(中世社会)政府とは?」のコラムでも紹介しましたが、本来出征中の将軍の幕営をさす言葉です。
出征中の幕営政治、すなわち占領地での占領軍政=軍事政権ですから、普通の将軍と違い征夷大将軍という名称は、異民族を征伐したさきで、朝廷の感化が及ぶまでの一時期軍政をしくと言う意味では、なんとか使えそうです。
我が国が敗戦したときも、連合軍の軍政下にあり、その最高司令官がマッカーサーだったのはみなさんご存知のとおりです。
しかし坂上田村麻呂とか八幡太郎義家の時代ならば、まさに異民族との戦いですが、我が国で歴史上幕府と言われている政権は、異民族征伐をしたことが有りません。
内部騒乱を勝ち抜いただけの者ばかりです。
内部騒乱の覇者でしかないものが、征夷大将軍になると言うのはどういうことでしょうか?
国内の敗者は、全部異民族だったと言うのでしょうか?
そうなると、朝廷を除いてみんな異民族にしてしまったことになりますが、これを逆に国民全部から見ると朝廷だけが日本人ではなかったということになってしまいます。
徳川300年の経過で、(もっと言えば鎌倉から700年もの経過)やっとみんな日本人らしく教養が身についたので、征夷大将軍の軍政は不要になりました。
それで政権を返してもらった(大政奉還)と言う理屈でしょうか?


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