03/10/04

幕府(将軍家)とは?1(大君・大樹公・・犬公方)

前回のコラムで紹介したように、我が国の中華思想にあわせて、現在使われている「将軍家」のことを、対外的には(外交文書)中華の君主を表す「大君」と表示するようになりました。
林羅山の発案によるとも言われています。
幕末外国人の文献では、私の知っている限りですが、例外なくタイクーン(大君)と記載されているのは、その客観的な資料とも言えるでしょう。
これに対応して,将軍のことを国内の正式文書表記では、これも私が知る限りですが「大樹公」と書いていたようです。
歴史の本では、何故か足利幕府だけを「御所」と紹介していますが、実は徳川でも、下位者からの直接の呼びかけは、日常用語としては、「上様」(今では領収書のどうでもいいときの宛名になっていますが、すごい言葉のインフレです)、正式用語としては「御所さま」が普通で、引退すると「大御所さま」と呼ばれたのです。
大御所といえば、隠居後の家康が有名ですが、家康1人ではなく隠居した将軍は、例外なく「大御所」と呼ばれていたのです。
太閤さんと言えば、豊臣秀吉の専売のようですが、前(さきの)関白の敬称でしかなく、歴史上もっと一杯いるのと同じです。
家斉だったと思いますが、平安時代の院政に倣った言い方で、大御所時代というのもありましたよ。
この大御所にこだわったのが、家斉で、彼の父は将軍になったこともないのに、自分が将軍になったので、「将軍の父だから、大御所と呼ばれるべき」だといい募って、家斉と松平定信が対立したらしいのです。
将軍の父だから大御所でなく、大樹公が(将軍)引退したときの敬称が大御所だったのですから、「逆は真ならず」という定理?公理の証明みたいな争いです。
勿論、庶民間ではもっと簡単に「公方様」くらいで表現していました。
吉宗の米公方も有名ですが、もっとも有名なのは犬公方(綱吉)の方でしょうか。
ちなみに、正式名称として「公方」が多用されていたのは、足利政権でした。
鎌倉公方持氏に始まって古河公方、堀越公方、千葉では「おゆみ」(今は「小実」という漢字の地名と,新団地名としておゆみ野というひらがな地名があります。)公方というのもありますよ。
話しが更に横へ行きますが、貴族という言葉は、我が国に昔からあるものではなく、英語のA NOBLE MANないし、LORD・西洋の公爵・候爵・伯爵・子爵・男爵などの総合的翻訳による明治期の造語だと思います。
これにあたると言うか類似する我が国古来の呼称は、公卿、(殿上人は外れるか?)・公家ですから、公方と言うのはそこから発達してきたのではないでしょうか?
公卿、殿上人の区別は12/26/03 「身分とは?3(中世社会2)公家」のコラムで紹介しました。
上記のとおり関東に公方が多かったのですが、関東に公家はいませんので、庶民にとっては貴種のことを公方さんというのが、日常語レベルになっていたのでしょう。
「公」の意味ないし歴史については、別の機会に書いてみたいと思います。
このように江戸時代に限らず、誰も使ったことがないとはと言えませんが、ほとんど公式に使われたこともない将軍とか幕府という言い方は、いつ誰が発明?ないし脚光を当てたのかについて、次回以降考えて見ましょう。


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