03/08/04
西洋の「戦争と平和の法」と東洋の「華夷思想」
西洋では「戦争と平和の法」と言うグロチュ―スの著作・思想が有名ですが、(国際法の祖ともいわれます。)要するに西洋の秩序は「戦争と平和の均衡」で成り立っていましたから、近世から近代に入ってもしょっちゅう戦いはありました。
東洋の国際法秩序は華夷思想でしたから、華の周辺国は朝貢していればいい関係で、ま、平和ですし、市場経済主義による弱肉強食もありません。
華夷思想と言うものを一口で言えば、強い国に近づけば、食われたり、やけどするのではなく、手土産の何倍もお返しをもらえる関係です。
徳川政権は、何故自分勝手に「引きこもり」による平和国家を実現できたかについて、今回は考えてみましょう。
豊臣期に海外出兵した勢いでわかるように、東洋では我が国は一番強い印象を持たれていたことから、日本がいきなり勝手に戦争から手を引いてもどこも攻めてくる心配はなかったのが第1の要因です。
アメリカのモンロウ主義みたいなものです。
西洋からもそう思われていたようです。
また、東南アジアでも傭兵隊長山田長政を思い出せば分るように「日本人は強いぞ」と言う評判がありました。
他方秀吉に対抗する為の朝鮮応援出兵で弱ってしまった明が滅びて、中華の本家が蛮族である満州族に占領されてしまいました。
そこで、蛮族である清朝よりも日本が、中華思想・朝貢貿易の主役になった(つもり?)らしいのです。
日本が中華になっていた点は、単なる思い込みだけでなく、各種経済指標でも裏付けられるようです。
膨大な金・銀が取れて、当時ではもしかしたら世界1豊かな国でしたし、戦国時代までは、永楽銭などの貨幣を輸入していたのですが、徳川期になって貨幣鋳造が自給できるようになったどころか、原料である銅の輸出国にさえなって、アジアの貨幣供給国、今の円経済圏みたいになっていた点が象徴的です。
我が国は、その頃あらゆるものが(鉄砲だけでなく木綿、磁器その他生活必需品に至るまで・・・砂糖はかなり遅れますが)国内自給できるようになって自給自足経済になったことも、大きな要因ですが、一つづつ書いていると終わりませんのでここでは深入りしません。
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