03/05/04
スポーツとは? 3(改易・整理)
武芸で生きてきた者は、時代の大転換期にあたって、どうすればよかったのでしょうか?
柳生のように剣道家としてでなく政治家に転身するのも一つの道だったでしょう。
政権としては、柳生のように政治家にもなれず、武蔵のように哲学に方向転換することも出来ず、かと言って一派を立てるほどの武術家でもない武骨者の処遇に頭を悩ましたに違いありません。
大久保彦左衛門のように口だけ達者な年寄りは、ほっとけばいいのですが、若い者は放置できないのです。
彼らが政治力を持ったままにしておくと、豊臣家の石田光成と加藤清正らの争いの繰り返しになってしまいます。
これでは、豊臣家の2の舞で、徳川家は持ちませんから、続けて紹介しますが家康は、自分の息子であろうとなかろうと、乱暴者はどしどし処罰してしまったのです。
ものの本では、改易ばかりしていると浪人が増えて由井正雪の乱(1651年慶安4年)のような不穏分子が巷にあふれるから、改易政策はやめたとなっています。
大名家としてまとまった戦闘集団のまま不満分子にしておくよりも、叩き潰して元家臣の中で転進できない一握りの不満分子を取り締まるほうが政治としては、リスクが少ないものですから、そうした解説はおかしいでしょう。
忠臣蔵の浅野家でも、500人あまりの家臣のうちで、討ち入りに参加したのは50人足らず(47士といわれます)ですから、ずっとリスクが少ないのです。
その上、徒党を組んだ時点で処罰できますので、なお便利です。
これは現在の経済政策でも同じで、経営に行きづまっている企業の延命よりも、一日も早く整理してしまうほうが個々人が早く社会適応できると思われます。
時代遅れで武断派の大名家では、家中全体が時代遅れの風潮に染まっていますから、教育次第で新時代に適応できる家臣まで、時代遅れの価値観で勉学しがちです。
これを早く解体してやれば、中立的な家臣は、新時代の価値観で職業転換していけるのです。
倒産企業も一旦解体して役にたつ人材と役立たずの人材のふるいわけをしてこそ、中間にいる「努力すれば何とかなる層の改善奮起が見込まれるのです。
それでもどうにもならない層が必ずいるものですが、そう言う人はもっとレベルの低い会社に再就職するか失業のままでいるかしかないのです。
そして最後に残る失業層に対しては、職業転換の為の再教育などを別に考える問題で、失業が出るから、倒産させないというのはおかしな発想です。
10/19/02「会社更生法と日本経済 1(大手ゼネコン倒産の場合)」以下の連続コラムで書きましたが、社会の総需要が同じであれば、ある企業がつぶれてもその分同業他社の売上が増えるのです。
その結果生産や販売のために規模を拡張しますので、人員需要の総体は変わらないのです。
それでも失業が結果的に増えるのは、もともと企業内潜在失業者が顕在化しただけといえるでしょう。
大名の改易も同じで、その分誰かがその土地の大名になるのですから、人並みの人材であれば結果的に吸収されてしまうはずです。
浅野家の例で言えば、塩を作っていた人たちはそのままいてくださいと逆に頼まれた筈です。
明治の廃藩置県で、日本中の武士が失業したのではありません。
代わりに県や市町村が設置されるので、(最初は名前が変わっただけです)普通の人はそのまま県などの役人になれたのです。
幕府が改易政策を止めたのは、浪人対策もあったかもしれませんが、対象になる武骨大名が伊達政宗のように変身を遂げてしまい、なくなっていたというのが大きな理由でしょう。
大名が変われば、家来も武術よりも風流や、学問にいそしむようになります。
松江の松平不昧公(本名治郷 1751〜1818)は風流人として有名ですが、出雲松平家は、結城秀康の4男直政を祖とする家柄ですので、長兄忠直卿の改易に懲りて風流に転進した家風が7代目にして彼を生んだものではないでしょうか。
現在の観光地松江は、彼の風流の余韻なくして語れませんから、忠直卿の改易が思わぬ効果をあらわして、現在松江のシンボルとなっているのです。
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