03/04/04

スポーツとは? 2(武断派の改易)

洋の東西を問わず、重火器(前々回のコラム大阪城攻防戦で紹介しましたように、火縄銃どころか大筒=大砲まで出現していたのです。)の発達及び平和時代到来で、武術の比重が下がる一方になった近世以降では、行き場を無くした体力派エリートのガス抜きが必要になっていたのがわかります。
先ず、武芸関係は実用から離れて、西洋では騎士道・スポーツマンシップ・日本では武術が「武道」になり武士道・精神論が盛んになったのです。
政権としては、武芸に優れたものを役立たずとして実際は閑職に回しているのですが、年に一回表彰してやって、将軍や総理、国王が、直接謁見してほめてやれば、そういう人間は大感激ですから、コストが殆どかかりません。
アメリカでは大スターになることを夢見て多くの庶民が草野球から頑張っています。
こうして江戸時代には町道場の隆盛時代となりますが、いつの間にか本来の武士は時代適応して文官になじんでいき、有能な官吏となりました。
幕末ころに剣道の道場で頑張っていたのは、アメリカでは黒人や下層階級がスポーツで頑張るのと同じで、近藤勇などの農民出身者及び下級武士・・というか本来は足軽階級が殆どでした。
幕末の上級武士が柔弱になっていたのを、批判する書物が多いですが、彼らは時代に適応していただけです。
今でいうミスマッチの解消で、幕府の職業転換教育が成功したのです。
これが最後まで武骨ものばかりだったら、もっと前に幕府がつぶれていたに違い有りません。
話しがさらにずれますが、明治維新で活躍した下級武士は、勝って政権を握った方ですから、人並みの才覚さえあれば幾らでも新政府に採用された筈です。
不平士族の反乱は、すべて政権を握った薩長土肥の官軍派であって、賊軍になったほうや中立藩では起きていません。
こうしてみると、不平士族とは、薩長閥といわれるえこひいきのコネがあっても就職できない程の、体力ばかりの無能力派の証明でもあったでしょう。
維新を担った勢力は、江戸時代の文治政治について行けなかった体力派の反乱という要素があったのです。
彼らは、体力がありましたから政権をとるのに功績がありましたが、政権を取ってみると乱暴なばかりで、職業能力がないのですから、新政権はもてあましてしまいます。
関が原で豊臣家臣の福島正則など武断派を利用した徳川は、家康の死後、もう義理がないということでどんどん改易して行きます。


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