03/02/04
足高の制 5(パフォーマンス政治の創始者か?)
平和な時代が来たから、軍人は要らないと言って旗本をみんな文官にしてしまったら、いざというときに軍隊がなくなってしまいます。
1時はやった1国平和主義みたいなもので、現実的では有りません。
しかし、私は軍隊が不要と言うのではなく、それはそれで別の常備軍の編成をすれば済むことだったし、またそうすべきだったと思います。
近代戦になっていた江戸時代以降は、各人が10人や20人の家来を引き連れて戦うのでは、やっていけない時代がきていたのです。
大阪城攻防戦では、真田幸村の活躍が大きく取り上げられますが、ご存知のとおり大筒が威力を発揮していたのですから、本当は個人(数十人)レベルの時代ではなくなっていたのです。
個人類似の集団戦法(家内制手工業?)ではどうにもならない「規模の戦い」重火器力=大きな資本力が必要な時代がきていたことは、すでに誰でも知っていたことです。
家禄制を最後まで維持していたにもかかわらず、幕末の肝腎なときに旗本・御家人は、戦闘能力を喪失していて全く役立たずだったのは、歴史上明らかです。
幕末・鳥羽伏見で幕府のために戦ったのは、旗本ではなく、会津藩と新撰組(雇い兵だったのか、NPOだったのかよく分りませんが)の連合軍が中心でした。
大砲を主力とする薩長連合に対し、刀を抜いて突進する新撰組のイメージ・・・会津は少しは火力を装備していたでしょうが、これでは戦いにもなりません。
こうして家禄制の維持と軍事能力維持とは、何の関係もなかったどころか有害でさえあったことがわかります。
むしろ「文武、文武」と時代錯誤なことを言わず、現実を直視して、旗本は文官になってしまった現実を直視して、家禄を削り(文官なら地位相応の従者の数だけあればいいのです)そのお金で近代兵器を整えて行くべきだったと言えます。
兵士は、別に雇い兵制度に切り替えて募集し、近藤勇のように腕力が強くやりたい人だけの軍隊にすればいいのです。
勿論軍人は、1代限りで引退したら終わりです。
ただし、政治というものは理屈どおりは行きません。
時代の進展にあわせて無制限に改革して行くと、大きな時代の転換期には不満分子の蓄積に耐えられなくなることがよくあります。(今風に言えばミスマッチです)
石田光成が武断派に嫌われて失敗したのは、その一例です。
ちょうど豊臣家の石田光成(彼は知ってのとおりお寺の小僧から始まったのです)にあたるのが、浪人から始まった新井白石だったでしょうから、これ以上、出自の低い能吏を家柄に拘わらず抜擢し続けるのは危険だったかもしれません。
そこで、吉宗は家柄にこだわらないと正面切って言わず、さしあたり足し高制で、家柄重視派と折り合いをつけて、武断派に対しても持ち上げるだけ持ち上げて結果として採用せず、自分の好きな人材を登用してしまったということでしょうか?
現在でも、小泉総理が松井選手と握手したりして、庶民のガス抜きに使っていますが、だからといって松井選手が大臣になるわけではありません。
吉宗が成功者と言われるのは、時代逆行政治をパフォーマンスとしてぶち上げることによって、不満分子のガス抜きをしたところにあるのかもしれません。
たいした職務につけるわけでは有りませんが、武芸達者を誉めそやして一時的なご褒美をあげれば、その種のグル-プは皆満足します。
やはり、吉宗は政治家として有能だったということでしょうか。
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