03/12/03

遺留分 3(民法51)

遺留分制度は何のためにあるのでしょうか?
これまでいろいろな角度からかなり書いて来ましたが、ここでもう一度考えてみましょう。
財産処分権の自由を徹底すれば、遺言者は、自分の持っている権利をどのように処分しようとも何ら制約を受けないはずです。
ところが遺言は遺留分の規定に反する事ができないとなっていて、これに反した遺言は、後日、遺留分権利者による減殺請求を受けると、その限度で効力を失います。
自分が営々と築いた財産を処分した場合、自分の死後に、どら息子の意見で、これが何故無効とされるのかと言う時代になって来ました。
西郷さんは『児孫に美田を遺さず』と言ったとかで、私利私欲がなかった美談として伝えられていますが、彼は足軽出身で、先祖から受け継いだ資産は皆無に近かったのです。
自分一代で築いた資産は、子孫のためでなく自分で有効に使い切る権利が有るという思想を言っただけの事で、今の感覚からすれば当たり前すぎる程当たり前ですよね。
家の財産を重視する立場からは、「自分勝手に使い切るなんて、私利私欲の固まり」みたいに思われていたかも知れませんね。
遺留分制度の存在意義について、学者は、『遺言の自由を絶対とすれば、遺言者の恣意的な財産処分によってその者の死後、その者によって扶養されて来た家族は、路頭に迷う事になる。』
『そこで相続人には、被相続人の財産に対する最低の保障が必要になる。これが遺留分制度の社会的意義である。』(例えば中川高男親族相続法講議)と説明しています。
『遺言の自由を絶対視する英米法系では、遺留分制度がない』(同上)とも言われています。
私は英米法は具体的に知らないのでなんとも言えませんが、私の考えは、これまで書いて来たように、明治時代の民法制定時には、個人所有と家の財産が混然としていた我が国の発展段階が遺留分制度の存在を要求していたに過ぎないと言うものです。
従って、社会の仕組みが変わってくれば、遺留分制度の存在意義も変わらざるを得ません。
『被扶養者が路頭に迷う』などの言い回しですと、時代の進展如何に関わらず妥当しそうですが、はたしてそうでしょうか?
家の制度を守るか否かと言う政治的立場と関係ないような中立的な書き方ですが、これがまやかしである事は次のコラムで説明しましょう。
また、戦後数十年間は、都会に出た子供の権利擁護の役割を果たしていた事もあったでしょうが、前提となる社会の変化によっては、遺留分権利者を変更して行かなければ、不合理な制度になってしまうと思うのです。
社会の発展度合いと言うか、社会のあり方によって正統性を検証して行くのが専門家の責務ではないでしょう




関連ページリンク

コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資