03/02/03
遺言の効力2(民法47)
話は元に戻りますが、個人所有と団体の管理権が混然としていた時代に、『所有権は絶対です』『所有者は自分の所有物を誰に相談する事なく自由に処分してもいいですよ』と言う法律観念がはいって来ても、我が国ではそのまま受け入れ難かったのは当然の事です。
とりわけ、遺産相続に関しては、何とかして、戸主に自由な処分をさせたくなかったと言うのがこの法律の狙いだったと私は思います。
勝手に愛人に全部やってしまうと、家族は路頭に迷うばかりでなく、彼個人の働きで家産を増やした分ならいざ知らず、単に親の財産を受け継いで来ただけの家長が、自分の個人的好みで費消する事自体が道義的に許されないと言う観念があったのは当然のことですから、その時代としては正しかったと思います。
遺言書は死亡後効力が出るので、厳密な要件で作らなければならないと説かれていますが、(『遺言2』で私も一応、そういう一般的な考えに基づき説明をしました。)いろいろな取り引き文書や念書など死亡後に問題になる文書は、いくらもあります。
遺言書特有の問題ではありません。
それに、普通の文書、例えばなくなった父親の境界立ち会い書、借用書や領収書等が出てくれば、立ち会い証人のサインがなくても有力証拠として扱う事が多いのに、何故遺言書だけいろいろな制約をつけたり、公証人や警官を呼ばねばならないか説明がつかないでしょう。
ここは矢張り、家産の自由な処分を認める事となる遺言を、なるだけし難くして、遺言制度を利用させないようにと、学者や役人が知恵を絞った結果ではないか、と言う観点から考えると分かりやすいと思いますが如何でしょうか?
その結果、本来『所有権の絶対性』という近代法を受け入れた以上は、処分するのは、所有者の自由勝手であるはずなのに、(立法者および当時の我が国の意識は、自由に処分されては溜まらないと言うのが原則ですから、)わざわざ964条で、初めて処分が許可されたかのような『遺言者は・・・・処分する事ができる』と言う逆ばりの規定が生まれたのでしょう。
所有者は本来自由な処分権を持っているのに、方式に従った遺言をしたときだけしか処分出来ないと言う規定をおく事によって、自由な処分権が制限される事になっているのです。
憲法の財産権の保障との関連が気になりますね。
ただし、以上は、私の独自の思いつき論ですから御間違いのないようにして下さい。
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