03/23/02
企業人と市民の常識 3
大手企業の社員や官僚等は個人としてみれば、有能で教養があって、道徳心も高く、批判精神の旺盛な人々です。 ところが、企業人や組織の一員となると、個人としての良心が麻痺して違法行為を進んでやり勝ちなのは何故でしょうか? 以前のコラムにも、犠牲フライと言う言葉で少し書きましたが、更に付け加えておきたいのは、歴史的な視点です。 人類始まって以来、集団を形成するようになると共に、おのずから集団の利益と個人の利益に違いが生ずる様になって来ます。『ひとり殺せば、犯罪だが、千人殺せば、英雄だ』と言う価値の二重基準です。 犯罪に2種類があって個人が懐に入れるのは、組織内でも、絶対に許されない事ですが、(検察は、何せ、汚職に対しては高官、権力者の別 なく厳しいですよ)組織の為に犯罪行為をするのは、そこまで、忠義を尽くしたと言う事で、逆に英雄視される事になります。 戦国時代の物語で、敵の城下町に潜入して火をつける、或いはスパイが潜入して盗み出す。これらはれっきとした犯罪ですが、誰も犯罪とは思っていないのです。 このように、人類は、自己の属する集団の為ならば、人殺しに始まって何をしても許されるどころか、映画にしてまで後世の人が賞賛してくれると言う、ながーい歴史を背負っているのですね。 企業人は戦国大名のように、自分の会社が勝つ事が第一ですが、いまは統一国家なので、国の法律を守らねばなりません。 世界企業ともなると、日本の為に良ければ、他国の法律は、どうでも良いと言う訳には行かなくなります。 個人の世界では、孔子、孟子の時代から、うるさく道徳を教えられて来ましたので、テストでカンニングしてまで、良い結果 を求める人や、先生にごますりし、接待攻勢で良い成績にして貰うような人は、滅多にいないと思います。会社でも、仕事はまともにしないで、上司にぺこぺこばかりの人は、却って出世出来ないでしょう。 ところが、企業人となると、産業スパイに始まって、そこまで行かなくても、競争会社の製品を調べてまねをする、接待は言うに及ばず、贈賄までやりたいが、矢張り自分の身も可愛いので、どの程度の接待や、虚偽表示が許されるか、というのが今の風潮です。 企業はひとつの組織として、前記のとおり、対外的にはアウトロウであった、という歴史を背負っていますが、市民・消費者に反発されると、雪印のようにやって行けなくなるので、暴力団のようにアウトロウを標榜する訳にも行かず、法令遵守を唱え、法令の勉強会が花盛りとなります。 しかし、企業トップや、構成員が、『組織の発展の為には、対外的には、何をしても社内では、許されるし、賞賛される。』と言う、歴史的に醸成されて来た企業風土を、個人の道徳基準に一致させる為の教育こそが肝要です。 内なる道徳律を、確立しないまま、『消費者がうるさいから、取り締まりがきついから、』という発想から勉強会をしても、対外的ポーズか、もしくは、法の抜け穴捜しに終ってしまうでしょう。 次の機会に、どうすれば意識改革ができるか、その為の制度設計はどう有るべきかに付いて、述べる事にします。
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