02/28/08

空の思想と中国・日本の受け入れ2

他方で成立初期から権力と密接な関係にあって、民衆の不安を受けとめられず、宗教としての役割を果たしていなかった比叡山が、信長によって堕落していると断罪され、焼き討ちにあって機能停止したのは象徴的出来事です。

徳川時代になって以降、安定社会向けの儒教が幅を利かすようになり、徐々に仏教が葬式仏教に転化し寺子屋などの教育機関になって行ったのは、政治体制の安定と関係があるでしょう。

この関係で、比叡山など旧来系の宗教も支配の補助的役割が期待されて復活していくのです。(松永弾正によって焼かれた大仏も綱吉によって再建されます。)

一方で支配体制に邪魔なキリシタンは徹底弾圧されますし、日蓮系でも不受布施派も同様に弾圧されました。

不受布施派については、06/02/05「千葉の歴史24(千葉県人とは13)団十郎の出身地(成田闘争と不授布施派1)」以下で紹介しています。

このように、仏教は、・・わが国で言えば、観音信仰から各種念仏宗教へ・・早くから「空」を前提にしながらも、その後大衆向けにどんどん進化していったのに対し、キリスト教はその後宗教改革があったとは言え、仏教ほど簡略化、大衆化していなかったのです。

07/01/07「離婚の自由2(民法201)カトリックと持参金」のコラムその他に書きましたが、キリスト教国と言っても、村の教会はちっぽけなもので、みんなが出入り出来るものではなく、村の有力者・・ホンの限られたものだけが出入りしていたものでした。

西洋の農業社会・・フランク王国や神聖ローマ帝国、イングランドでは、特別にキリスト教を必要とするような社会変革もなかったのに、ローマに征服されたと言うだけで広がったに過ぎませんから、庶民には実際に根付いていなかったのでしょう。

庶民は、まだ地域の妖精・・・土着信仰の世界で生きていたのでしょう。

わが国で、仏教は最初は先進的な学問として定着していったように、西洋でもエリートだけが親しむハイカラな文化輸入の域を出なかった可能性があります。

わが国のキリスト教徒についても、江戸時代からの信者は別として、明治以降キリスト信者になった人たちは、こう言う傾向で社会から見られているのではないでしょうか?

その意味では、古代・・大仏殿建立時における行基菩薩の大衆動員力・・これが本来の宗教でしょう・・は、1時的例外現象だったと言うべきでしょう。

 



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