02/28/08

空の思想と中国・日本の受け入れ1

他方東洋・・・中国世界では、紀元前後約500年間は前漢〜後漢という安定政権時代で、動乱の世界ではなかったので、秩序を重んじる儒教の教えで間に合っていたのです。

中国では、この時期が世界史に輝く時期で、漢民族の呼称もこの時期に固定するのです。

政治制度の確立と言う意味でも、この時期は、古来から「漢承秦制」として政治制度の模範とされる制度の完成した時期でした。

漢承秦制の思想については、04/10/05「不平等条約改正に対する日本政府と清朝の違い(漢承秦制の思想と社会の停滞)」で紹介しました。

これが、世界の中心であったメソポタミア地方が、アレキサンダー大王に滅ぼされて、世界の中心でなくなった時期同様に、中原と言われる漢民族の中心地が、異民族に蹂躙されるようになったのが、魏晋南北朝・・五胡十六国の時代です。

(ササン朝ペルシャ滅亡から数えると約600年後です)

・・異民族入り乱れる時代になってちょうど、うまい具合に仏教・・空の思想が入ってきたという構図です。 

その後、唐以降政治制度が安定し・・王朝が入れ替わっても、政治の仕組み・・価値観自体は代わらず、何しろ、漢承秦制を唱えて清朝の崩壊まで続いたのですから、価値観の崩壊がなかった社会です。

ですから、空や無常を説く仏教はいつの間にかすたれてしまい、安定社会向けの儒教全盛が続くのです。

わが国では、仏教導入は文化輸入と支配貫徹の方便として始まったのですが、中国と違い、その後政治体制自体がめまぐるしく変わってきましたから、先ず無常観が発達します。

源平盛衰時期以降に、わが国独自の季節感とない交ぜにして無常観を強調する文学・・国民的無常観が発達したのは、それまでの王朝政治から、武家政権へとがらりと変る政治体制の変革と符節を合わせているのです。

このころから、末法思想が発達し、個人個人の救済には、従来からの観音信仰だけでは対応できなくなって、浄土信仰や各種の念仏系宗派とその対極としての禅宗が発達するのです。

戦国時代末期・・信長のころに一向宗や本願寺などの浄土系の信仰・エネルギーが最大になったのは、こうした背景でしょう。

戦後創価学会など新興宗教系の活動が活発になるのも、同じく社会混乱が背景になっていると言えます。

 



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