02/23/08
火から水へ4(中国の神話伝説・・禹)
舜の子は不肖であったので今度は禹 が推戴されます。
舜子[商均]不肖、乃薦[禹]於天。舜南巡狩、崩於[蒼梧之野]。禹即位。
[夏后氏禹][?]姓。或曰、名[文命]。[鯀]之子、[??]孫也。[鯀]湮洪水。舜挙[禹]代[鯀]
禹は鯀の子であるとも言うのです。
「鯀湮洪水」と書かれていますので、今度こそ治水に成功したと読むべきか、ふさぐだけではどうにもならなかったと読むべきか、今のところ私には分かりませんが、次の文章・・鯀に代わってが禹抜擢されたところを見ると、湮ぐだけでは、だめだったと言うべきでしょう。
ところで、鯀が9年もかかって実績を上げなかった責任を問うてクビをすげ替えるのに、その子が引き継いで次の責任者になるというのは不思議な流れです。
こうした疑問は誰でも持つでしょうから、専門家の間では、当然解明されている・・あるいは諸説・・謎があるのでしょう。
ちなみに、湮という漢字は、水に沈めるというのが原義ですが、ここでは何故か水を塞ぐという意味らしいです。
ここだけ別の意味に解する根拠が分かりませんが、古来から多くの学者の研究の結果でしょう。
現在でもこう水は応急的には土嚢などで塞ぎますが、根本的解決するには、その上流からの川の流れを変えていくなど総合的施策が必要です。
まして黄河は泥水ですから、一定期間で川床が高くなって暴れますので、常に水流を変えて行かねばならない性質の川です。
下流の開封が繰り返し水害にあっていて、今の開封の下に何代もの開封の町が、重層的に埋もれていると言われるほどです。
多分、このころから、漢民族が、かなり川に接近して生活するようになっていたので、川の流れの変更による被害に直面するようになっていたのではないでしょうか?
人類は川のほとりに生活するようになったといっても、最初は10メートル前後の細流のほとりで十分だったことについては、04/06/06「治山治水の必要性2(わが国の川)」その他のコラムで書きました。
灌漑だけならば、多きな川に接近する必要がないのですが、何回も書いていますが、中国古代民族は商業国家として発展したので、船着場の関係で、ある程度大きな川に接近して都会が営まれるようになったのでしょう。
メソポタミア方面からの交易ルートの終着点・・商業基地として中国古代が始まったことについては、繰り返し書いています。
これに対して、鯀は対症療法しか出来なかったから、失敗したのでしょう。
いずれにせよ、今回のテーマの水害の克服・・・治山・治水の重要性が中国古代神話のテーマとなっていたことが知られている部分です。
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