02/21/08
禅譲の禅と禅宗の禅の関連
平清盛の嫡子小松の重盛については、02/06/04「上杉家の悲劇(戦国時代と平和な時代)」その他のコラムで書いています。
後世、こうした分からんチンをもてはやしますが、手のつけられない最高権威者の子弟だからこそ、お目こぼしになっているだけの話です。
ところで、自分の子供に対する世襲以外の政権の移転は、禅譲によるべきだと言う思想は、原則世襲制を前提するものと言えるでしょう。
18史略でも、堯の子「丹朱不肖」とか舜の子「商均不肖」のときだけ禅譲しているのです。
禅譲も放伐も、不肖でない限り世襲制を基本とするもので、今では、むしろ政権私物化を理想とするものとして批判さるべきでしょう。
ただし、わが国の上場会社の社長交代では、不肖であろうとなかろうと、息子に譲ることは無く、しかも解任される事例は稀で、一種の禅譲が殆どですから、孔子の理想社会が実現しているとも言えます。
これは元オーナー会社のときは、世襲が基本で続きますが、その何代目かで経営の任に堪えられないときだけ、社内からの抜擢になるのですが、一旦オーナー家以外から社長が出れば後は禅譲が基本です。
ちなみに漢字の「禅」とは、元は封禅の儀式に使う平らな祭壇のことでしたが、(それ以上の意味がないのです)そこから転じた禅譲は、帝位簒奪のごまかしであって、偽善そのものですから、本来の意味が廃れてしまって死語になっていたのです。
ところが、後世禅宗が入ってきて、そのサンスクリット語、バーリ語の音がゼンに近かったことから、唐代以降座禅修行する宗派を「禅]「禅那」と言う漢字を当て字に使ったことから、(端座する点で少しは意味が通じる面もあったのでしょうが、基本は音からの当て字です)今ではゼンといえば禅宗の禅ばかりに使われているのです。
そこで、禅宗用語として深い意味を持ついろいろな派生語が生まれてこちらの方が知られるようになっているのですが、禅譲の禅とは元々系列が違うので、禅宗で発達した意味をここに持ち込んでも意味不明になります。
いわゆる禅と言えば、今では当て字の禅が幅を利かしているので、却って帝位の委譲が、禅宗で使われる禅と何故同じのか意味不明になっているのです。
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