02/19/08

平成の語源(史記・内平外成)

ちなみに舜の事跡になると、それまでの奇数の数字から何故か四岳、四門、四海と四の数字あるいは「挙才子八元八ィ」「四海之内、咸戴舜功。」など偶数の数字が繰り返されるのが不思議です。

この点についても専門家がそれなりに研究しているのでしょうが、それにしても四海とは不思議です。

そもそも内陸国であった中国古代において、海の存在を聞いたことがあったとしても本当の海を見たこともない時代ですから、四海などの概念が生じる余地がないのです。

この概念も、戦国時代を経て黄河下流域まで支配下に置いた以降に生まれた概念でしょう。

それにしても、中国世界は、現在でも片方にしか海がない地形ですから、どうして海に囲まれたわが国のような「四海」と言う観念が生まれたのか不思議です。

結局は、メソポタミや地方から入った概念をただ使っただけなのか?と言うところですが、メソポタミア地方でも島国ではないのですから、四海という観念はどうかな?と言う感じがします。

結局は、四岳・四門と続けたイキオイで四海となっただけかもしれません。四方八方と同じで、広く全部と言うだけの意味かもしれません。

わが国の観念では四海と言えば、能楽で聞きなれている「四海波静かに・・・」などと、無意識に周囲を連想しますが、・・平成の年号の語源もこの舜の事跡から出ているのですが、イメージとしては「四海波静かに、内外ともに平和」と言うイメージで理解している人が殆どでしょう。

しかし、上記原文をよく見ると、「四海の内」といっていて、外周ではないのです。

四岳同様に黄河周辺の湖をイメージしていたのかもしれません。

知ってる限りの領域内の湖沼も、みんな賛成したと言う意味でしょうか?

ここで、ついでにわが国の平成の元号の由来を紹介しておきますと、・・誰でも知っているでしょうが・・・・史記の五帝本紀にある以下の文章がその由来です。

昔高陽氏有才子八人。世得其利、謂之八ィ。高辛氏有才子八人。世謂之八元。此十六族者、世濟其美、不隕其名至於堯。堯未能舉。舜舉八ィ、使主后土、以揆百事。莫不時序。舉八元、使布五教于四方。父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内平外成。

この最後の「内平外成。」が、採用されて、平成の元号が決まったのです。

上記の高陽氏とは、「帝??高陽者、黄帝之孫而昌意之子也」とある、??のことで、高辛氏とは、「帝?高辛者、黄帝之曾孫也」と言われる帝?のことです。

堯の先帝である帝?とそのまた先帝である??のそれぞれの有能な子孫・・八ィと八元・・合計16族が堯の時代には、登用されず実力を発揮できなかったのですが、舜の時代にこれら有能な子孫が登用されて、それぞれが役割を果たし、「父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内平外成。」の理想的な時代を現出したと言うのです。

 

 



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