02/19/08

権力移譲の形式(禅譲1)

話を十八史略に戻しますと、堯はついに年老いて、帝王の勤めに倦み、四岳(泰山、華岳、衡山、恒山)の推挙により舜を摂政に指名するのです。

史記では、この四岳を有力者・・有力者という抽象名詞ではなく固有名詞のような書き方になっています。

史記

堯曰、嗟、四嶽、朕在位七十載、汝能庸命、踐朕位。嶽應曰、鄙悳、忝帝位

堯曰く、嗟、四岳、朕位(くらい)にあること七十載、汝よく命を庸(もち)う、朕が位を践め、と。

岳応えて曰く、鄙徳(ひとく)なり、帝位を忝(はずか)しめん」

 

帝位を継ぐように言うと断るので、人望のある舜の登用の可否を聞いてみると、岳もこれを推薦したと言うのですから、前後の文章を読むと、岳とは帝堯の側近と言うよりも相談役のような役割の人のようです。

次の舜が年老いて、後継者を諮るときの史記の文章を見ると以下の通りで、ここでも四岳が出てきますので、四岳を固有名詞ではなく周囲の長老・有力者とおき換えるべきでしょう。

(堯が相談していたような高齢者・・同じ人物が、このときまで生きているはずがないからです)

 

舜謂四嶽曰、(舜、四岳に謂いて曰く)有らば能奮庸美堯之事者、使居官相事。皆曰、伯禹爲司空、可美帝功。

 

岳と言う姓は、後世南宋時代に岳飛という有名な武将もいますので、架空とは言い切れませんが、政治と言うものは古代においても実際には、有力者の意向を無視できないでしょうから、これらを聖なる山である四岳と表現したものでしょう。

実は、その何年も前から、堯は自分の娘2人を舜に嫁がせたりして実験期間をおいているのですが、史略では、こうした宗教的順序を踏んだことだけが書かれているのです。

後世の書経や史記編纂時における帝位継承に関する儒教道徳的粉飾と言うべきでしょう。

 

 



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