02/16/08
火から水へ(中国の神話伝説1・・堯2)暦の始まり
先ず堯から始まります。
堯は帝?(五帝の一人です)の子とも言われ、その仁は天の如く知は神の如く、仕えて仰ぎ見れば太陽の如く偉大で、雲の如く融通無碍であると言うのです。
堯の業績としては、庭の草の落ち葉等を見て旬朔(一ヶ月の動き)を知ったと言うだけです。
満月までは日に一枚葉を増やし、満月以降は一日に一枚の葉を落とすと言う便利な草が庭に生えていたと言うのです。
しかも小の月には葉を落とすのをいやがったと言うのですから、不思議な草です。
名づけて ?莢と言うのですが、実体は何だったのでしょう。
物の本では、これはマメ科の植物で毎日鞘がはがれるのを見て、堯が暦を数えるのを思いついたと言うのですが、植物に頼ると一年中存在しないばかりか、一ヶ月もすれば成長の様子が変ってしまいます。
植物に頼るのでは、1年を通したルール作りには不向きですが、私が12/31/03 「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)」のコラムで書いたように、月の満ち欠けを見れば、夏も冬も同じでこれを観察した方が簡単ですから、この話はおかしいように思います。
もしかしたら、メソポタミア方面から舶来した天球儀のようなものを、彼だけ持っていたということでしょうか?
いつも書くことですが、自然現象に左右される農耕が始まると暦を管理するのが、支配者・帝王の最初の仕事だったので、その仕事をしたと言う意味を、この葉っぱの記述は表しているだけでしょう。
帝尭陶唐氏
帝尭陶唐氏伊祁姓。或曰、名放k。帝?子也。其仁如天、其知如神。就之如日、望之如雲。都平陽。茆茨不剪、土階三等。有草生庭。十五日以前、日生一葉。以後日落一葉。月小尽、則一葉厭而不落。名曰[?莢]。観之以知旬朔。
平陽に都したと言うのですが、平陽は、当時の地図では黄河の支流のい水の上流・咸陽よりもその倍ほども遡った上流の山間地の外に、邯鄲の近くにも平陽と言う所がありますが、そちらだったのでしょうか?
そうだとすると、かなり下流です。
わが国では、佐久平・松平など、山間でちょっと開けたところに、何とかだいら・平となづけるのと似て、夏から殷周時代の歴史地図を見ると、平陽と言う地名はあちこちにあるのです。
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