02/13/08

観音菩薩像の源流2

ところで、般若心経の正式名称である「般若波羅蜜多」とは、瞑想による悟り・・一定の段階で得られる智慧の固有名詞です。

これを既に観じた菩薩に小乗仏教的最高知恵者舎利子 が、大乗の智慧を悟るための修行法を聞く問答の場面を書いたのが、般若波羅蜜多心経です。

観とは、瞑想によって得られる智慧の最後の段階に到達した状態ですから、自在に観じた・・悟った菩薩と言うことでしょう。

自在に救済できる菩薩と解釈する向が普通ですが、私は文字を離れて解釈できるほど詳しくないので、漢字の並び方だけから解釈しているのです。

ホントの深い意味を知りたい方は、いくらでも専門書がありますので専門書をお読みくださることを進めます。

自在に観じて得るのは、結局は般若波羅蜜多と言う智慧でしょうが、インドでは知恵は女性系の名詞になっていたそうです。

漢字だけから解釈すれば、観自在菩薩は、菩薩の中でも最終段階の智慧を観じた菩薩と言う意味でしょうから、智慧の神様となるべきでしょう。

ところで、クシャーナ朝カニシカ王の繁栄は、ローマ帝国との交易による莫大な利潤がその源泉であったことが知られていますが、アレキサンダー大王の遠征以来中東地域とインド地方は経済・文化の一体化が進み、当時既に海岸線を通じた中東地域との交易が盛んになっていたことがわかります。

アレキサンダー遠征当時は、陸路中心だったでしょうが、その後徐々に海上輸送に重心が移って行ったのでしょう。

この必要性・・地中海に比べてスケールの大きいインド洋航海・・長距離航海の必要性が、後のダウ船の開発に繋がるのでしょう。

ダウ船の開発によるアラビア半島とインド亜大陸との直接交易の発達が途中の交易の要衝として栄えたアフガン北部や、バクトリア地方の地位低下をもたらしていくのです。

クシャーナ朝衰退後、インド世界はササン朝ペルシャの支配下に置かれて、当時ヘレニズム文化圏に組み込まれていたのです。

 



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