02/12/08
観音菩薩像の源流1
話を戻しますと、インドでのゼロの発明が4〜5世紀というのですから、ちょうど鳩摩羅什の生存時期と偶然一致しているのです。
4〜5世紀と言えば、インドでは既にクシャーナ朝は消滅して、ササン朝ペルシャの支配下・・ササン朝の興隆期であった時代です。
文化的に見れば、中東のヘレニズム文化の東端にあった時代と言えるでしょう。
イスラムに限らず宗教と言うのは、具体的には意味不明・・神秘性がその本質ですから、具象化したもの・・偶像禁止が本質でしょう。
この後に紹介する般若経でも、五蘊は結局は何の実体もない空であるという説教ですから、空を説く仏教では偶像や曼荼羅で具象化すること自体、意味がないはずです。
他方で、どういう訳かヘレニズム文明では人間の彫刻が大好きでした。
人間賛歌が、ギリシャ文明の特徴と言うべきでしょう。
イギリスやフランスへ旅行したときに、例えばウインザー城でも、装飾画は具体的な人間のグロテスクな?(これは私の偏見です)裸の人間の絵画のオンパレードでしたが、私の娘は嫌悪感をあらわにしていたものでした。
パリでも何故こんなに生身の人間の彫り物などが建物のそこかしこにくっつけているのか不思議なくらいです。
凱旋門も上に登ってみると安っぽいコンクリートまがいの石にゴテゴテといろんな人体の塑像がくっついています。
アレキサンダーの遠征以降ヘレニズム文化圏に入ったインドでは、紀元後1世紀あたりからギリシャ彫刻の影響を受けた仏像が製作されるようになります。
その一環として知恵の神様である女性神・・・観音菩薩像も生まれてくるのです。
ただし、最初はお釈迦様の偶像ならいいだろうということから、恐る恐る始まりますので、釈迦の次は、如来関係に進み、菩薩像関係は大分遅れるようです。
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