02/12/08
空の思想5
彼・鳩摩羅什は捕虜として中国に連れ去られた苦しい人生経験から、諸相はすべて空・・諸行無常であると達観していたのでしょう。
クシャーナ朝のよって立つ基盤や彼の生い立ちは西域・遊牧民の世界が本来の基盤ですから、「空」の思想はそこからササン朝ペルシャ方面へも伝播していった可能性があります。
ちなみに、鳩摩羅什の生没年を見ますと、350年 インド出身の鳩摩炎(skt:Kum?rayana)を父に、オアシス国家亀茲国王の妹の耆婆(Skt: J?va)を母として生まれた王族です。
西域に進出した後涼の捕虜として中国につれて来られて、仏典の翻訳をさせられたので、歴史に残っているわけですが、中国で言えば六朝時代の人です。(409年長安で死亡)
ちなみに中国の時代区分はいろいろですが、晋が滅び何年かして東晋になった時から五胡16国の乱立時代となり、北魏が華北一帯を統一したときから南北朝時代と言います。
南北朝になる前の三国時代の呉以下、南部に都を置いた六朝をまとめて、六朝時代と言うのは、文芸の世界で、同時代を中心とする四六駢儷体あるいは建築様式など、わが国に大きな影響を及ぼした六朝様式が有名だからでしょう。
ついでに書いておきますと、遣隋使、遣唐使を通じてわが国に流入した先進文物は漢の文化そのものではなく、いわゆる六朝様式が主流を占めていたのです。
いつも書くことですが、黄河流域での本来の漢の文明は硬いのですが、南方の豊かな自然に接して初めて、流麗な文芸の花が開いたというべきでしょう。
また、自然豊かなわが国では、過酷な気候を背景とする本来の漢文明ではなく、漢民族が南方に本拠を徐々に移していく過程で変化していった六朝様式になって初めて受け入れ可能になったともいえるでしょう。
漢文明が黄河流域から長江流域へ版図を広げるにつれて、文化の内容が変って行った経過については、12/16/05「漢民族の広がり?5・東西移動から南北移動へ3」前後で連載しました。
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