02/11/08
空の思想4
この敗北以後クシャーナ朝は帝国としての支配権を失い、残された領土はサーサーン朝に次々と制圧されて、クシャーナ朝はカブール地域だけの王として存続していたが、バハラーム2世(276年 − 293年)の時代にはサーサーン朝の支配下に置かれるようになったとされています。
以上は、・・・主にウイキペデイアからの引用です。
このころの中国では、魏末・・竹林の7賢から西晋が成立し、その晋も匈奴など北方民族の侵入によって滅亡し、5胡16国時代にさし掛かるころで、お互いに無常観を満喫しているころです。
(五胡の乱入が304年で、西晋の滅亡が316年です)
(最盛期のカニシカ王の2〜3代後のヴァースデーヴァ1世(波調)は、魏に使者を送っていて、わが国の卑弥呼が貰った(239年です)親魏倭王と同様の親魏大月氏王の金印を貰っていますので、年代的に分かりよいでしょう。)
わが国に入った仏典といっても、すべて漢訳されたものでしかなかったのですから、西域生まれの鳩摩羅什による漢訳が原始仏典であったとすれば、彼の思想で色づけされたものでしかないとも言えます。
中国4世紀ごろの法相宗の開祖として知られる無著と天親はガンダーラ方面からの帰来僧であったのです。
わが国の鑑真和上みたいなものです。
中央アジア出身のクシャーナ朝で仏教芸術が花開きますが、そのクシャーナ朝の没落に合わせて空の思想が成立したと見ることが可能です。
以上を概観すると、仏教の「空」の思想はもしかしたら中央アジア人的思考・・あるいは彼らの刺激から生まれ・・更にはぐくまれ成長した思想かもしれません。
それを漢訳して中国に伝えた彼・鳩摩羅什自身もオアシス国家亀慈国(現在のクチャ)の王子として育ちながら、侵略して来た後涼に中国につれて来られた身であって、無常感を身を持って感じていたのです。
彼の業績は、仏典の翻訳・・漢語訳ですから、ないものを書いたわけではないでしょうが、元々中央アジア出身者の思想・・精神構造で「空」の思想が仏教に付け加わっていたとすれば、親和性があって理解しやすかったでしょう。
そう言えば、彼自身王族で出家した身で、釈迦の人生と一部似ているのですが、まさか彼の生い立ちを、釈迦の生い立ちに翻案・創作したわけではないでしょう?
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