02/10/08

般若心経と空(ゼロ)の思想2(クシャーナ朝の盛衰1)

般若心経は、玄奘三蔵が翻訳したものと言う説がありますが、ずっと前の鳩摩羅什(西域の王族です)の翻訳と酷似しているので、中国やわが国に伝播した仏教とは、結局は鳩摩羅什の思想に帰すると言えるかもしれません。

実際のところ真偽不明ですが、仮に鳩摩羅什訳が定本になっているとすれば、荒漠たる砂漠地帯で育った彼から見れば、一晩の砂嵐で、見渡す限り別世界が生まれてしまう・・何もかも直ぐに空(くう)に帰する思想になじみやすかったことが理解できます。

そもそもお釈迦様は、現在のネパール近辺で修行して悟りを開いたので、いわゆる森の宗教です。

この点は以前、11/29/05「神仏習合の基礎2(仏教の心は森にある)]前後で、森の宗教として連載しました。

京都や奈良の仏像を見て歩くと、四天王など足元にいろんな邪悪なものが踏みつけられていますが、森にはいろんな生命体がいますので、空のの思想はなかなか生まれ難いはずです。

熱帯雨林では、仮に森林火災で全焼しても直ぐに次の生物が芽を出すでしょう。(輪廻思想は根付きやすいでしょうが・・・)

600巻に上る般若経の成立が紀元後2〜3世紀と言われているのですが、その当時の政治状況を概観しますと、紀元前に匈奴に追われて西域に移転して樹立した大月氏国のもとから独立したクシャーナ朝の最盛期から没落期に当たります。

大月氏については、01/21/08「武帝の求めたのは馬だけだったか? 1(種牡馬とは?)]前後で前漢の武帝が派遣した張騫の事跡に関連して少し紹介しましたが、その根拠地はいまのアフガン北部あたりでした。

クシャーナ朝のカニシカ王が仏教を保護していわゆるガンダーラ芸術が花開くのですが、インドと言ってもそのころは、(その後のムガール帝国も同じですが・・)中央アジアの諸民族が南下して支配下に置いたものです。

インドは古来から、陸路中心時代には、中央アジアから進出してきた民族が支配者になり、海路中心になると海岸沿いに来たアラブの支配下に入り次いでオランダやイギリスの支配下になるなどいずれにせよ他民族による征服王朝の草刈場だったのです。

こうした歴史観と言っても私独自の感想を、12/13/05インドの場合(乾燥地と湿潤地民族)」のコラムで紹介したことがあります。

 



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