02/04/08
物品や人の数量単位1(わが国固有の数詞)
国語というのは何が正しいと言う基準が無く、辞書は一応みんながこのように使っているというだけのことであって強制力はありません。
元は誤った表現でも多くの人がその表現を使うようになれば、それが現在の国語という原理です。
ですから、世上最近の若者の国語が乱れていて困る式の議論は、そうした立論自体誤りです。
言葉は移っていくものですから、次々と新たな表現が多くなっている・・言葉が乱れているというのは世の中の動きが激しいだけ・・あるいは論者が世の流れについていけないという自白みたいなものです。
計量法では、物品やエネルギー電力などの単位表示が決まっていますが、人間の年齢表示は、物品等ではないので規制はありません。
要は相手に意味が通じれば良い国語の範囲なのです。
今でも、三つ四つ〜九つなどは日本語的表現でしょうし、(現在幼児語にしか使われませんが、本来これがわが国の言葉としては正当です。)何歳と何年というのは、漢語への翻訳・・いわゆる外来語です。
外来語排斥運動が時々起こりますが、そういう人は自分の年を何歳と言わずに「いくつ」というべきでしょう。
ちなみに七つ八つなどの「・・つ」の表現は9または10までしかなく(「10=とお」も最後の「つ」が消滅しただけでしょう。
今も残る古代の言葉としては、「とおつおおみ・・遠江」の表現などで「とお」に「つ」を付ける用例があります。
十・・とお以上は「遠い」・・「それ以上分かりません」という概念の最大を表していた可能性があります。
「とおとお何々になった」その他にも一杯あると意味で「等々」などすべて「とお」は終局を表す言葉になっていることも参考になるでしょう。
小さい子が自分の数える能力を超えると「一杯!」言うのと同じです。
11以降になると漢語的表現しかないのは、漢語が入るまでのわが国では、まだ10以上の数字の数え方が発達してなかったからでしょう。
そのころは、年齢どころか魚を数えるのも動物や鳥を数えるのも、すべて「ひとつ」「二つ」としていた可能性があります。
すべて具体的な数量は「いくつ」という言い方で、最後に「つ」を付けて間に合っていたのです。
(もう少し幅のある数量・・・この発展形で幅のある概念・・価値観などを表すのには、「いくら」の「ら」が出来たくらいですが、これは、「とお」が無限大を表すように「ら」も数え切れない「それ以上」という意味から発達したものでしょう)
今では社会が高度化して、人間は何人、馬は何頭、鳥は一羽などそれぞれ細かく分かれていますが、これらは飽くまで国語の範囲・・自由な変遷に任せれば良いのです。
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