02/02/08
辰をタツというのは?
ついでに、兵を挙げると言う用法が気になるので考えて見ますと、「挙げる」は基本的に周囲から推戴される意味です。
挙とは、漢字の意味が、手を差し上げることですから、本来上位者が下位集団からの推薦により選抜する意味になったのが科挙の制度です。
科挙の制度については、科目別選挙と言う意味であると、09/27/05「科挙の意義2(選挙と官僚養成1)」前後で紹介したことがありますが、そのうちの挙人とは郷試に合格したものの中から形式的には知事が中央へ推挙する形式だから挙人というのでしょう。
科挙の順序詳細については、12/07/05「科挙試験10(会試)」前後と01/20/06「科挙試験14(殿試1)と師弟関係(派閥とは?)」にかけて連載しました。
兵の場合は、自分ひとり(直属の兵力だけ)立ち上がっても支持者がいないと成り立ちませんから、立つと同時に支持者を募るのが普通です。
この段階でこそこそした私的な行動から、公開される・・権力側に知られるので正面から敵対する意思表示・・旗幟鮮明にすると言う意味でしょう。
現在の立候補も同様で、立候補直前までは、その動きが不明で、対立陣営あるいは仲間陣営にとってもその人が立たないで自分の味方になってくれるのか、立候補して自分の敵対候補になるのかの読み比べが行われるのです。
立つ前は、もしかしたら自分の応援団になってくれるかもしれないので、はっきり敵対しないで探りあいの段階です。
ですから、政治の世界では「立つ」と意思表示すると同時に敵対者からの切り崩しや鎮圧軍の攻撃を受けるので、立つと同時に、支持者獲得の戦いが始まるので、挙兵と言う表記になるのです。
頼朝の挙兵は自分とその与党だけではどうにもならず、立つと同時に処方へ、檄を飛ばして支持者獲得に奔走するのです。
自分が立つだけで支持者がそれほど集まらないと、源三位頼政のように不発に終わってしまうのです。
権力側は、支持者の広がる前に討つのが常道ですから、一刻も早く討伐軍を送ることになります。
政治の世界では「立」ってから支持者・兵が集まる「挙」の間が短ければ短いほど有利ですし、その期間の長短が死命を制しますから、立つことは挙兵・・兵を募ることが外部に明らかな行動であり、これの成否がすべてですから、史上「立つ」=「挙兵」と言う形で記録されるのです。
頼朝は、房総地域で支持者獲得に成功したことが、政権獲得の成功に繋がったことからも、自分が立っただけではどうにもならなかったことが分かるでしょう。
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