02/09/07
多様な人材が生きていける社会へ7(許された危険1)
生活保護を受けないで、自分であっちが悪いこっちが痛いと言って身体を大事にしているのは、本人の勝手ですが、生活保護を受ける以上は、少しくらい無理して働く必要があるのです。
・・・その結果
「仕事中に転んだり怪我しても・・あるいは仕事中に倒れて救急車で運ばれても、仕方ない・・・誰も文句いわない」
と言う社会的コンセンサス形成の必要性です。
こう言う主張は、一見人権擁護に邁進すべき弁護士業務に反する極論のようですが、実際に私の事務所に相談に来れば、どうなるかと言えば、企業側に落ち度がなかったのか?、きっちり吟味して、もしも落ち度「・・どうせ老人だから何があってもいいんだ」と言う無責任な仕組みであれば、責任追及することになるのですから、誤解しないで下さい。
医師に一切を委ねて、結果が悪くとも諦めるるけれども、大きなミスがあれば責任の追求があるのと同じです。
私の言いたいのは、「角を矯めて牛を殺す」と言う言葉がありますが、あまりケチケチ言い過ぎてかえって社会的弱者の行き場をなくす方が、大きな人権侵害になっていないかと言う意見です。
あまりうるさく言い過ぎて医師になる人がいなくなっても困るのと同じです。
その上で、もしも不当なことがあれば当然、人権擁護の立場から別途請求すべきは請求するのが、弁護士の仕事です。
これと似た法概念では、「許された危険」と言う言葉があります。
例えば車は、走る凶器と言われるように、車の走行自体が人の殺傷の可能性を秘めているのですから、運転を始めたこと自体が、場合によっては人をひき殺すかも知れないと言う可能性があって、もしそういう事があっても仕方ないと言う覚悟でみんなが乗っているのです。
これを、刑法理論から言えば、殺人・傷害罪の未必の故意があることになります。
これでは、みんな業務上過失ではなく故意犯になってしまいますから、車にのる人がいなくなってしまいます。
車の運転行為自体で、犯罪の着手になってしまうのでは、社会の発展が見込めないので、社会的有用な行為については、一定の結果発生が見込まれるとしても、一定の規制に従って運行している限り、処罰しないこととしたのが、現在の道路交通法や刑法の法秩序です。
その代わり、不幸にして結果が発生した場合には、何らかの過失を擬制して?過失致死傷罪にしか問わないと言う仕組みが作られているのです。
これが社会的相当行為あるいは、許された危険の思想です。
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