02/06/07
コンプライアンスと「法の不知は許さず」の妥当範囲1(刑法70)
いろんなタイプ・・個性だけでなく能力的にもいろんな人たちが気楽に生きていけるためには、なだらかな能力格差・・・その能力に応じた生き方が出来る柔軟な社会・・・懐の広い社会の存在が前提になるのです。
私は思うのですが、ここ数十年来の日本の社会は、何かと言うと責任追及の嵐で、これでは、人間が小さくなるばかりです。
法令遵守(コンプライアンス)も必要ですが、あまりそんなことばかりで追及していると、肝腎の商売の方がおろそかになりませんか?と言う心配です。
コンプライアンスに関しては、これを無視してよいと言うのではなく、会計帳簿や火災報知機など消防法令の細かい問題は、財務責任者やそれぞれの部門を最終決裁者にして、企業トップは関与しないルールにして、生産計画や販路拡張にまい進してほしいものです。
実際ホリエモンの事件の社会的争点は、そこにあると思うのです。
彼が会計帳簿や株式分割、証券取引関係の法的構造を熟知しているから成功したのではなく、別の才能で経営者になっているのですから、その道の専門家の言う事に仮に同意したとしても、それがどのような法令にどう違反するかなど分からないで、メクラで同意していたと見るのが普通です。
彼ホリエモンが、違法性の説明を受けながらもゴーサインを出したのかどうかが、社会的には重要だろうという意味です。
ここで「社会的」にと限定する意味は、法的には「法を知らなかった」ことは無罪の理由にはならないので、法的には同意したかどうかだけが争点でしょう。
しかし、社会的には、証券取引ルールや会計原則やその他の細かい法令をみんながみんな熟知している方が珍しい筈です。
かと言って、「法を知らなかった」と言ういい訳がとおらないのも現在社会ですから、そうなるとそういう技術的な問題は、技術的に良く理解できる専門部署のトップの決裁だけにして、経営者に上げない仕組みにするのが安全策として必要でしょう。
上に上がってきて決裁した上は、法を知らなかったではすまない社会では、そうするしか経営者は身の安全を守れません。
法を知らなかった・・刑法学では違法性の錯誤・法律の錯誤と言いますが、この点については、01/16/05 「児童買春・ポルノ禁止法3(刑法20)事実の錯誤、法律の錯誤」以下のこらむで紹介しました。
「殺人や泥棒を処罰する法が、あるのを知らなかった」
という理屈で無罪になるのは、困るので、「法の不知を許さず」の法原理になっているのです。
それはそれで歴史的には意味があったのですが、今のように法が緻密になってきて、その道の専門家でなければ、知らないのが普通の時代になって来ると、この法理も問題が生じてきます。
関連ページリンク
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